●紹介者:梅津 政之輔 さん
<手垢のついた「まちづくり」からの転換>
ほんものの「まちづくり」とはどんな「まちづくり」を言うのだろう? 本当に「暮しやすいまち」とはどんなまちなのだろう? 私の住んでいる世田谷区太子堂地区のまちづくりにかかわってから20年になりますが、絶えず考え、問つづけてきた問題です。
今春出版された千葉大学の延藤安弘教授の『「まち育て」を育む』と『何をめざして生きるんや』の2冊の本を読むうちに、私が行政・専門家・企業に抱いていた不信感、不満が明確になり、数々の疑念が氷解していく思いがしました。
延藤さんは、本来まちづくりとは「自分たちのまちを自分たちでつくる過程に与えられた言葉」だったと言います。ところが「近年、行政や専門家が固い基準どおりの公共事業のような違う内容のことにまちづくりという言葉をオーバーラップさせてしきりに使うようになったがゆえに、言葉に手垢がついてまちづくりが市民や住民にとって不信の代名詞になってしまった」と指摘しています。
そこで延藤さんは、手垢のついた「まちづくり」から「まち育て」への転換、言い換えればモノ、カネ、セイドを重視した「まちづくり」からコト、クラシ、ココロ、イノチを重視した「まち育て」へ視点を変えることを呼びかけています。このことは、単に言葉の違いではなく、コトの本質の違いを提起していると思います。ある大都市の行政職員研修で延藤さんが「まち育て」の印象をアンケートしたところ、「育ては長く手間がかかる。できてからが出発であり成長がある。“子づくり”と“子育て”の違いのごとし」と答えた人がいたそうですが、私も同感です。
<まちの人間疎外と無機化に危惧>
太子堂地区は、都内でも代表的な木造住宅密集地域です。大地震に備えて「住民参加による修復型の防災まちづくり」を行政と住民の協働ですすめてきました。行政から示された建物の不燃化、狭隘道路の整備などハードの課題にたいして、住民はコミュニティづくりを通して防災性能を高めるソフトの課題に取り組み、それなりの成果を上げてきました。
しかし、まちでは相変わらず行政・企業と住民との対立が日常的に発生しています。住民からは「まちこわし」「暮らし破壊」と見える事業計画が「まちづくり」の顔をしてつぎつぎと登場してくるからです。
延藤さんも、「明治以降の百数十年間、日本の社会を支配してきたのは“定量化”という考え方です。そこでは大量にかつ標準的にモノをつくることが大前提でした。どんなに状況が変わろうとも“定量化”は何よりも優先すべきことだったから、専門家、なかんずく行政の専門家はこれを達成するために技術的、制度的な手段を総動員し、
徹底的に効率性を追及した」と指摘しています。そして「あらゆるものが商品化する産業社会化は、共同体の解体のみならず、家族の崩壊をもすすめている一面がある」として、人間の物象化、疎外化と空間の無機化、均質化が加速していることを危惧しています。
2冊の本は、そうした危機的状況を打開するために、具体的な事例をあげながら専門知と生活知の結合による創発的思考法を提示しています。それは行政・専門家・企業に求められるだけでなく、私たち住民にも提起された課題でもあります。
<「まち育て人」を育み増やそう>
「まちとは、人生はよいものだと実感できる場所である。そうした感覚がうすらぎつつある現代の文化を越えて、人間も自然も人工もひとりひとり、ひとつひとつが個別に輝きながら、それでいてそれら全体の交互作用が生きることの豊かさが濃密なまちの回復・再創造に赴く“まち育て”の文化への重要な移行を企てたい。そのことにかかわる楽しさへの共感と共鳴の世界をひろげていきたい。“まち育て”には楽しさだけでなく、わずらわしさや対立やトラブルがつきものである。しかし、対立を力に変え、トラブルをエネルギーに変えるしなやかな心を市民・行政・企業のひとりひとりの中に育んでいきたい。トラブルがたまるとトラベルに出るといった開かれたプロセスを淡々と歩みつづけたい・・・そう思いながら、私はこの書物をつくった」と延藤さんは書いています。
もちろん、延藤さんの言うように「“まちの破壊”“生活への悪影響”といういわばネガティブなものを“望ましい生活環境”といったポジティブなものに変えていく」ことは容易ではありません。しかし、「たとえそれがあらがいから始まったとしても、やがてまちのあり方などについて、住民主体の創造的な提案に」つなげていくことしか解決の道はないように私は思います。そのために、「まち育て人」を育み着実に増やしていくことが、私たち住民にも求められているのです。
『何をめざして生きるんや』は延藤さん特有の関西弁を交えた語り口で平易に書かれているのに対して『「まち育て」を育む』は論理的に書かれていますが、両書ともすべての人びとにぜひ読んでもらいたい本です。それは、国内的にも国際的にも閉塞状況にある現代文明の価値観を見直そうという延藤さんの問いかけでもあると思うからです。
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