10月17日夜。「ちば市民活力創造プラザ」の会議室で、「市民自治げんき塾」が始まった。「ちば市民活力創造プラザ」は、千葉市が開設している市民活動支援施設で、事業は「NPO法人まちづくり千葉」に委託しているが、ちょっとした経緯から、ボーンセンターも事業に関与している。今年度、「NPO法人まちづくり千葉」とボーンセンターが共同で、千葉市の市民自治や市民活動のあり方、また、この施設そのもののあり方などを講座形式で、「市民自治げんき塾」として公開で学習することになった。今回はキックオフということで、世界標準のNPO活動が目指していること、最初にNPO制度が誕生した歴史的背景などについて振り返り、現在の千葉市の市民活動について考えた。
世界の、とりわけ米国や欧州のNPOは、それぞれの使命を達成することを目標に、周囲に善い影響を与えて社会変革を促すとともに、事業を通して雇用や経済的価値を生み出している。それがどのくらいかというと‥、世界共通の正確な統計はないものの、いくつかの試算があり、いずれの試算も事業支出や雇用数は年々増加している。少なめの計算のものでも、NPOの事業規模は世界で1.1兆ドルと言われている。これは、米ドルを80円として88兆円。日本のGDPを世界全体のGDPの7%とすると、日本の民間非営利組織が事業規模を世界標準並で計算すると、6兆円を超えていて当然であり、日本は経済先進国の範疇に入っているので10兆円を超えていても不思議ではない。しかし、実際には、東日本大震災を契機に民間非営利組織全体の事業規模は大幅に拡大したが、2兆円にも届いていないのではないだろうか。このギャップは何が原因なのか。日本の市民活動は、サポート意識を持った個人のボランティア活動が中心で、組織がしっかりしていないことが多い。「市民活動は、市民自らが主体的に生活をデザインし、実践する活動」といわれるが、この主体となる市民ということが、日本の政治家、行政、そして市民には、なかなかイメージしにくいようである。社会的課題の解決は、政治家や行政が行うものという「お上」意識、市民活動は補完的な活動という観念が根強い。日本のNPO法の正式名称は特定非営利活動促進法である。市民活動促進法という名称を敢えて避けており、使用していない。
そんなことがあり、日本の市民活動では、社会的課題の解決という目的以上に、生き甲斐づくりが目的化しているように思われる。市民も行政も、「高齢者の生き甲斐づくり」などの言葉を頻繁に使用している。「生き甲斐」は市民の実践活動のなかで生まれるものであり、「生き甲斐づくり」が目的化することは、実践に向けた主体性のひ弱さにつながる懸念があり、本末転倒のように感じるのだが…。そうした市民活動の捉え方が、社会的影響力あるいは意義ある経済活動や雇用創出につながりにくい原因になっているように思える。
世界では、多くの国で市民活動、とりわけ組織的活動であるNPOの活動が重要と認識されてきている。米国は1986年にNPO活動の制度をつくったが、日本はその制度を段階的に導入してきた。1998年に特定非営利活動促進法が誕生し、まず法人制度ができた。昨年に法人制度と税制優遇制度が一体化した法律に改正され、形の上では米国並みの制度になってきた。
アメリカでNPO法人制度が成立した1986年は、レーガン政権の時代である。1980年代前後から、米国では市民社会や市民活動の研究が盛んになり、社会学者、未来学者、経済学者を巻き込んだ論争に発展していた。マネジメントの神様といわれるピーター・ドラッガ−も、熱心に非営利組織の
重要性を説いている。キックオフということもあり、今回は「そもそもNPOが注目された背景」を話題の中心にした。論旨は次のとおりである。
私たち人類は産業革命以降、発展する経済社会の中で恩恵を受け、この発展を前提に自らのライフスタイルを選択し、生活、文化、コミュニティ社会の構造を変化させてきた。日本の食糧自給率が問題視されても、消費者として都市住民は、どこか遠い出来事のように錯覚する。市場経済、競争社会は、人々の意識までも変えた。
日本だけでなく世界の経済は、1960年頃をピークに、GDPの世界の平均伸び率は低下し、現在は横ばいの状態に近づいており、財政や経常収支は深刻な状況に陥っている。しかし、そのことに多くの人が現実味を感じていない。世界中で工業化が進み、工業生産は世界全体では市場規模よりも過剰になっている。目に見えにくいところで、ゆとりのないぎりぎりの市場獲得競争が続けられていて、かろうじて経済成長が維持されている。そこでは、幸せを感じるゆとりが減り、社会には閉塞感が漂っている。間接的には、こうしたことが自殺者や弱者への「いじめ」なども大きな社会問題になっている。
1970年代のオイルショックの頃から、成長の限界が指摘され、「脱工業化社会」が叫ばれてきたが、それに十分に対応しきれず、最近は社会の持続性を多くの人が疑問視するようになってきている。将来へのなんとなくの不安である。
そうした低成長社会の中で、NPOの制度をはじめとした新しい市民活動の基本的な仕組みづくりは、1980年代のアメリカや同じ英語圏のイギリスからはじまった。
当時、財政と経常収支の双子の赤字に苦しむレーガン政権は、戦略的に金融自由化(いわゆる新自由主義、あるいはアメリカンスタンダードといわれる)に踏み切り、それによって世界中から資金を集め、国内だけでなく世界中に投資し、急激な世界市場の拡大を目論んだ。他の国も追随し、規制も次々に緩和され、またたくまに投資は投機に変容、経済はハイリスク・ハイリターンの不確実性が高いものになった。
工業化が進み、かつ生産の合理化によってモノの供給が過剰気味の社会においては、リストラが加速し、インフレ傾向に伴って失業者が一気に増え、今や世界的に解決の出口が見えなくなっている。金融政策で市場を拡大し、世界中に近代的な工場が移転しても、それは一時的な効果にとどまり、世界全体の供給過剰は根本的に解消されない。世界全体の雇用機会は十分に確保されない。これまでの市場競争の基本的な考えの下では、新たな安定的な雇用を生み出す経済のフロンティアを見出すことが難しくなっている。
当時のレーガン政権は、小さい政府の方向に舵を切り、それまで政府の社会的事業に補完的に協力してきた市民団体への補助金を大幅にカットした結果、社会的課題を解消・緩和するための社会サービスが停滞するようになった。
アメリカやイギリスのこうした新政策・新戦略には、当然のことながら、成果を疑問視する声や将来を不安視する声が上がっていた。日本での小泉政権時代の規制緩和反対の大合唱にも似ている。このような状況下のレーガン政権のもとで、アメリカの市民活動の仕組みがつくられた。市民自らが社会的課題に取り組み、そのための投資的行動を促す仕組みである。
それは、今後の社会が次に進むべき方向を示すと同時に、新自由主義を推進するための保険からとしてアメリカのNPO制度は始まっているように思われる。今やこの保険を世界中で育てていく市民の実践が必要になっている。
最近の世界の状況を見ると、社会的な課題を解決するための草の根的な市民活動が、多くの地域振興や雇用創出に貢献している。とかくグローバルな社会的課題に取り組む国際NGOが注目されがちだが、地域課題に取り組むローカルな市民活動が世界中で急速に増えている。Think
Globally, Act Locallyが浸透してきている。
今や市民活動が世界の経済や雇用を下支えしているが、それらはなかなか統計には反映されにくい。なぜなら、それを計測する仕組みができていないからである。新しい社会的価値の多くは、ネットワークや協働によって生み出されている。NPOは、社会的価値を生み出すミッションを達成するために活動するので、最終的な手柄が、行政であっても、企業であっても、他のNPOであっても構わない。
現代社会は、カネで手に入らないものも鮮明になってきている。安全、安心、地域の環境といったものをカネで買うことは難しいのである。世界を見渡せば、平和もカネで買えない。個人ではなくコミュニティやシステムの問題、「私」ではなく「共」の問題なのだ。 私たちは、医者は選べるが、安心できる地域の医療システムは選べない。市民が新たなシステムやそれを支える新しいコミュニティを協力して創り出していくほかはない。異なる組織や個人や組織が同じ目的で社会的課題に取り組むことを協働、あるいは共創などともいうが、市民活動は、市民が自立し、世界中に善い場所を創り出していく活動なのである。カネで手に入らないものをつくるというと、経済的な効果はないように思うかもしれないが、そうではない。なぜなら、現在の経済社会にとって、それが新たなフロンティアであるからだ。しかし、それはこれまでの経済活動の中心であった私的な市場競争からは生まれない。市民自らが生活をデザインし、地域という目に見える確実なものに資源や資本を投入し、労働を提供し、地域の新しい価値を創造する必要がある。最近の金融市場は、私たちが目に見えない不確実なものに投資を促している。それに比べれば、市民活動が創り出すものは身近な目に見えるものであり、個々の規模はさほど大きくないが、ローリスク・ローリターンである。自分たちでコントロールが可能であり確実性は高い。市民、事業者、地方行政機関などが相互に役割を自覚し、協力していけば、地域に新たな価値をつくることが可能である。いわば、競争原理の私的な経済活動ではなく、目的を共有した人たちがサポートしあう、ネットワーク型の「共」の経済を構成し、社会的な価値を生み出していくのがNPO等の非営利組織の活動である。
ボランティアが中心の生き甲斐づくりを目的とした日本型のNPO活動は、すでに日常生活の中に溶け込み始めている。しかし、社会を善い方向に改革していく、革新的かつ力強いNPOも必要である。こうしたNPOは、使命を達成するために経済を活性化することや働く場所さえも提供してく。二つのタイプの市民活動がサポートし合えるようになると、市民活動はますます社会にとって重要なものになる。市民活動支援センターの運営には、こうしたイメージや具体的戦略が必要ではないだろうか。
(副代表 栗原裕治 )