□ 事業報告 ボーンセンター設立10周年記念シンポジウム 「千葉の貝塚群を世界遺産に! 〜千葉の貝塚群とまちづくりを考える〜 」報告 |
開催の趣旨
平成20年(2008年)9月28日(日)、ボーンセンター設立10周年記念シンポジウム 「千葉の貝塚群を世界遺産に! 〜千葉の貝塚群とまちづくりを考える〜 」を開催しました。丁度この2日前、文化庁は世界文化遺産への推薦に向けた暫定リストに5件を追加し、その中に三内丸山遺跡などの「北海道・北東北の縄文遺跡群」を組み込みました。佐久間千葉県中央博物館長によると、縄文時代の遺跡を世界遺産に登録するためには、東日本の各地の縄文遺跡を追加する必要があり、このシンポジウムはまさに千葉の貝塚群を世界遺産にするキックオフイベントとして位置付けられると思います。
講演1「千葉の貝塚群の歴史的意味と価値」
村田 六郎太 氏 (千葉市立加曽利貝塚博物館 副館長)
○貝塚遺跡の分布
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□ 講演2「千葉の貝塚群から読み解く縄文人の生活」 |
□ 講演3「世界遺産のあるまちの暮らし」
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分科会
◆ A分科会 「縄文時代のスローライフを考える」
A分科会は、講演をいただいた清藤一順氏をアドバイザーに迎え、質問に終始しそうな雰囲気を何とか全員参加型ワークショツプに切替え、気合とスピード感で最終ラウンドまでやっとたどり着きました。その間1時間。次回は加曽利貝塚博物館の竪穴式住居で、夜明けから日没まで、リアルタイムでゆったりスローライフをテーマに行いたいものです。
ワークショツプのテーマは、前半は「あなたが縄文人だったら、今日は何をしますか?」から、後半は「1万年も続いた縄文人の暮らし(社会)に学ぶこと」としました。
前半の条件は、9月末、秋雨の続いた後、やっと雨も上がり快適な日。千葉に住んでいる縄文人という設定にしました。
各自がポストイットに書き込んで、出てくるわ!出てくるわ! 読み上げるたびに、共感と妙に説得力があり、やはり私達は縄文人の血を受け継いだ考え方、行動パターンの記憶が脳に残っているのではと感じたほどでした。
出てきたポストイットが多いのは、その他、食、衣、住の順となりました。この季節『野山で食べ物集め・貝採り・獲物のわなを見に行く』との気持ちが抑えきれないようでした。地道な『水汲み・火種を守る・土器作り・焚き木拾い・布作り・子供と遊ぶ・薬草探し』から、『物々交換・干し貝を売りに行く・情報交換』への意欲も示されました。『久しぶりに風呂に入る・一日歯痛に悩む・ゆったりと音楽をかなでて歌を歌う・いい女を捜しにいく』なども。
後半の「1万年も続いた縄文人の暮らし(社会)に学ぶこと」では、『自然との共生・満ち足るを知る・自立と助け合い・頭を使う・生物の多様性を大切にしてヒトの生存の選択肢を増やす』などがキーワードとなっていました。「スローライフとは生きる原点を求め、体と心が幸せに生きる暮らし」との今様な解釈も生まれました。また、続きをやりましょう。
(運営委員・鈴木 優子)
◆ B分科会 「縄文貝塚を活かしたまちづくり」
○加曽利貝塚博物館への思いと期待
最初に、10数名の分科会参加者に加曽利貝塚博物館、あるいは博物館全般を普段どのように感じているか、また博物館など文化施設に何を期待するかを聴きました。その結果、博物館は町の誇り、もっと情報発信すべき、社会学習の拠点に、観光資源として活用などの意見が出ました
○改善策やアイデア
今後、博物館がもっと身近に、使いやすくなるためのアイデアとして、次のような意見が出ました。
@住民がもっと足を運び、友人・知人を連れて行く。
A新聞、テレビ、地域FMや、広報、掲示板などさまざまなメディアを活用して、きめ細かい情報発信に努める。
B体験をしながら縄文文化を理解するプログ ラムなど、展示物を見学して終わるような従来の博物館からの脱却をしてほしい。
Cボランティアガイドなど市民が参加する仕組みを採り入れ、博物館の魅力づくりを市民の発想で豊かにする。
Dレジャー施設くらいのとらえ方から、博物館の魅力づくりを考える。
E非日常性の楽しさを持ち味にしたプログラムを作る。
○博物館から始まるまちづくり
博物館の活用と魅力づくりには大きな可能性があることが感じられました。もっと博物館が日々の暮らしに近づき、住民も魅力づくりや活用策に関わることで、博物館から始める草の根のまちづくりが千葉県全体に広がるとすばらしいと話しました。
(事務局長・宮田 裕介)
◆ C分科会 「千葉の貝塚群を世界遺産にしよう」
C分科会は、講演3「世界遺産の町から−郷土の宝を守る」についてお話しいただいた須磨章氏(NHKエンタープライズ世界遺産事務局長)をアドバイザーとして、講演をおこなった講堂にて行いました。参加者は22名で比較的大人数だったので、ポストイットに「千葉の貝塚群を世界遺産にするにはどのような取り組みが必要か」「須磨先生への質問」について書いていただき、これに基づいて意見交換を行いました。以下その概要です。
○広域化の視点が必要
須磨;熊野の参詣道が指定されたとき、3県(和歌山、奈良、三重)にまたがり、複合的に祈りの道なので、行政単位に県をまたいで同じパワーとしてプロジェクトを組んで訴えていくことが貝塚にも必要なのではないか。もちろん千葉が一番多いことはわかりますが、他の自治体も巻き込んで欲しい。富岡の場合も、製糸場だけではダメで養蚕農家も全部含めて指定した。また、絹を持ち出した横浜街道も含まれるのですが、これは普通の自動車道路なのでちょっとしんどいんじゃないのと言った覚えがあります。いずれにしても広域化というのがひとつのキーワードです。
○縄文の森構想はあるがバッファゾーンが
残されていない
貝塚については、60年代に貝塚の保存運動が最初で以来ずっと取り組んで状況ができあがったのが1970年代。その後、小倉町から「広域保存に関する要望書」というのが出され、その後、前の松井市長によって「縄文の森と水辺構想」というのが出されました。バッファゾーン(緩衝地帯)も重要なのですが、千葉県の貝塚ではほとんどそれが残されているところはないという状況だと思います。
○ 須磨さんへの質問
Q.須磨さんのお話で、土と木と泥ではない千葉の貝塚の場合、「縄文の貝塚」ということで発信すべきなのか、日本の縄文時代の貝塚ということなのか。どっちでいくべきなのか。
A.須磨;日本に14ある日本からこれから世界遺産を生んでいくのは大変だぞと申し上げましたが、20の暫定リストがある中で、新たに世界遺産に指定することは大変です。世界遺産運動
の良いところは、地域が結束するとか、自分たち型からだと思っていることをよーく調べるとかが大切で、それが結果的に世界遺産にならなくとも良いじゃないかという考え方で始めるべきでないかと思います。地域おこし町おこしのためにこういう標語を掲げるのは良いことではないか。
Q.音にちなむ世界遺産はないか
A.須磨;ない。伝統芸が市民に親しまれているなどの事例は考えられる。
○ 須磨;バッファゾーンの事例として
・ドレスデンの旧市街から何キロも離れているドナウ川に住民投票を経て造ろうとしていた橋の建設に、ユネスコから待ったがかかった。
・市が許可したショッピングセンターがケルン大聖堂の景観を壊すということでやはりクレームがついた。
・さらにはアフリカのある国は自然遺産の指定を返上した。
○ 《ワークショップの主な意見》
・地域の人達の愛着
貝塚のすばらしさをよーく学ぶ/地域の歴史への愛着を育てる/地域の人々にわかりやすく/市民に貝塚群の価値を広める
・世界遺産についての質問・意見
世界遺産において景観の重みは?/全国、特に北海道・北東北の縄文遺跡群の運動と連携を!
・その他
世界遺産に“なるか”ではなく“するか”/どうビジュアル化し市民に理解してもらうか(映画・小説づくり)/行政との関係づくり(積極的姿勢をとらせる)/歴史的価値を観光資源として活用する/貝塚周辺の自然環境も守って
(運営委員・成岡 茂)
まとめ (ボーンセンター代表・福川裕一)
日本は、1994年文化的景観という定義にすがっている。文化的景観に頼るには、大事なことが2点ある。まず、@イマジネーション。どうやってストーリーを作るか。そして、A広域内の歴史的景観のみならず現在の環境景観が本当に美しいこと。世界遺産を目指すということは自分たちの住んでいる環境を美しくしなければならない。遺跡、自然を含めて、素晴らしい環境を保持し美しい景観を作っていけるかが問われる。遺跡の中だけを見ようするのではなく、坂月川周辺のビオトープや周辺住宅地が美しいということになれば、魅力があふれるだろう。
※講演およびまとめのテープ起こしは、千葉大学学生の野口美穂さんにご協力いただきました。編集は、ボーンセンター・運営委員の成岡茂が担当しました。