「テロ対策」で進行する国家による情報の秘密化・監視社会化
〜感染症法改正をめぐる国会参考人意見陳述から〜

ノロウイルス感染が話題となっていますが、被害の様相は病原性大腸菌O157などと同様、「原因や感染ルートの特定が困難」という生物災害の特徴の一つを示しています。
さて、遺伝子組換え実験が本格化した80年代はじめから、O157、HIV、耐性結核菌、狂牛病、鳥インフルエンザ、SARS、などの未知の新しい病原体や病気が次々と出現し、その数は30以上あると言われます。それに伴い、これらを扱う研究施設から非意図的に漏れ出た病原体が地域社会に感染被害(生物災害=バイオハザード)をもたらすことが心配されてきました。世界保健機関(WHO)も昨年開催された世界保健総会決議で、研究施設からの周辺地域への生物災害を未然に防止することの重要性を日本も含めた加盟国全体で確認しました。
日本国内には、病原体等を扱う施設は少なくとも千以上あると推定されていますが、人口密集地や住宅地でも施設を立地できますし、病原体の取り扱いを直接規制する法令もありません。こうした「無法状態」を危惧した全国各地の施設計画地周辺の住民たちが、20年以上前より施設の立地規制や実験差し止め、安全情報の開示を求めてきました。
実は私が環境問題に関わるようになったキッカケは、今から10年以上前に、自宅近くにできた遺伝子組み換え実験施設の安全性確保を求める取り組みに参加したことです。
ところで、昨年末閉会した臨時国会では、教育基本法改定案、防衛庁の省昇格・自衛隊法改定の影でほとんど注目されませんでしたが、無法状態に等しい病原体の取り扱いについて、「生物テロ」の一環として規制する「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の一部を改正する法律案」(以下、「感染症法改正案」という)も可決されました。
実は、非意図的な「生物災害」予防の観点で規制するのか、犯罪である「テロ」対策の観点で規制するのかによって大きな違いがあります(別表参照)。この改正案について、NGO(バイオハザード予防市民センター 代表幹事・本庄重男国立感染研名誉所員・新井秀雄元国立感染研主任研究官)の立場から、去る11月8日に開催された衆議院厚生労働委員会で意見陳述しました。その要旨は、@ 各国が最低基準として遵守すべきWHOの規定にある「地域住民の人権尊重」の規定がみあたらないこと、Aテロ対策優先の結果、監視強化や情報の秘密化(国家による一元管理)に重きが置かれ、自治体・保健所・住民への説明責任や連携が二の次とされていること、Bその結果、生物災害予防の視点も弱く、災害発生時の迅速な対応も困難となることが予想されること、C人権尊重を基本理念とする感染症法の主旨を逸脱しており、生物テロの対策法が必要であれば別に定めるべきであること、などです。
 テロ対策の名の下に、生命の安全に関わる情報が国家の秘密にされ、地方自治体も関知せず住民への説明責任も省略される、分権社会や市民自治の対極にある強権的な社会が姿を現しつつあります。 以下に、11月8日での参考人として意見陳述内容を紹介します。
(注1)
衆議院厚生労働委員会意見陳述大要(06年11月8日)

 この20年余り国内において、病原体の取り扱いや施設の立地について何の規制もないことに気付いた全国各地の施設計画地周辺の市民たちが、病原体等を扱う施設(以下、バイオ施設)から病原体等が漏れることによるバイオハザード(生物災害)を危惧しバイオ施設の立地規制や実験差し止め、安全情報の開示を求めて取り組んできました。市民が心配した通り、病原体の保有管理状況が杜撰な実態にあることは一昨年、厚生労働省が実施した全国調査でも明るみに出ました。

 バイオハザード予防市民センターはそうした市民活動に取り組んできた様々な専門分野を持つ市民を中心に99年に設立され、各地の市民運動の支援とともにバイオ施設の実態の調査、法規制調査などに取り組んできました。その成果として昨年、トヨタ財団からの助成を得まして「バイオハザード対策の社会システム構築の提言活動」報告書をまとめました。
今回の感染症法改正案については、私たちは今年の4月、お手元の資料にあるとおり当センターの見解を表明してきました。
本日は、当センターの今日までの取り組みを踏まえて、バイオハザードの予防、そして人格権をはじめとする市民的権利の確立の立場から法改正案について3つの点について意見を述べさせていただきます。

1.世界保健機関(WHO)の規定に合致した法規定を

まず1点目は「この間の国際動向、世界保健機関=WHOの規定に合致した法規定を」ということです。感染症法を可決した平成10年の国会の付帯決議で、「世界保健機関その他国際機関等による新たな基準等が定められた場合は、速やかに適切な対応を行なうこと」とされ、当時の厚生省の指針などでもWHOとの連携がうたわれています。しかし必ずしも適切な対応や連携がとられてこなかったことを、市民の側が再三指摘してきました。
この間、WHOの決議など関連するものとして、3つの文書が注目されます。2004年のWHOガイドライン「病原体等実験施設安全対策必携」第三版、05年のバイオセーフティプログラム、第58回世界保健総会決議の3つです。
後者の2つについてはその一部を和訳したものが本日お配りしました参考資料にあります。
これらの文書では、
・ 実験施設が周辺地域に対する生物災害の発生源となる可能性があること
・ その観点から実験施設の周辺地域へのバイオハザード対策を充実すること。  そのことによって周辺住民の安心を得ること。
・ そのためにもWHOの勧告、指針を遵守すること
の3つのことを要請しています。
具体的には、WHOバイオセーフティプログラムでは、「目標」に「事故又は病原微生物の不適切な取り扱いや使用法により発生する病気の広がり」をバイオハザードの中心的部分としており、バイオ施設をバイオハザードの発生源として認識し、周辺住民への感染拡大の可能性を認めその防止を活動の中心的な目標としています。
また、第58回世界保健総会決議では、SARSをめぐる事態を受けてバイオセーフティの目的として「実験室感染の発生とその結果感染が地域社会に広がる可能性を最小限に抑えること」が加盟国への要請事項の一つとして決議されました。そして、このバイオセーフティの実現のためにも日本をはじめとする加盟国にWHOの勧告、指針を遵守することを要請しました。
こうした点を踏まえて、今回の法改正にあたり、これらに合致した法規定内容とすることが当然求められます。
 しかしながら、今回の改正は「生物テロの未然防止」、「感染症の分類の見直し」、「結核予防法を廃止して感染症法に統合する」の3つが目的とされており、WHOの勧告、指針、決議にあるような「バイオハザードの予防」の視点が非常に弱いということです。
 それではどうするかということですが、地域社会への危険との関係で、次の点が確認されねばならないと考えます。
 まず、基本理念(第2条)の「人権の尊重」の「人権」には、患者のみならず、周辺住民の人権も含まれることです。
 そして、周辺住民の人権尊重の観点からも、施設の安全性に関する徹底した情報公開と説明責任が周辺住民に対して果されなければならないということです。従って、情報の公開(第16条)の対象には、感染症情報に留まらず、施設の安全管理の実態も含まれねばならないということです。
 さらに、施設から外部への感染の予防、周辺住民の安心確保の観点から、実効性のある施設基準が策定されねばならないことです。これについては大きな指摘事項の3点目で触れます。
 そして、先ほどの国会決議との関連から、そもそもWHOの勧告、指針などを本法案が満足していることが検証されねばなりません。こうした点については、法案審議の中で明らかにしていただきたいと存じます。

2.生物テロ対策を感染症法に含めることの矛盾

大きな2点目として「生物テロ対策を感染症法に含めることの矛盾」です。
 これについては3点ほど指摘させていただきます。

(1)まず第1点目は、バイオハザードと生物テロの異なる概念を一つの法律に押し込めることに無理があるのではないかということです。
バイオハザードは、病原体を取り扱うことを任務としている個人や機関における事故や規則違反等により非意図的に発生するものです。一方、生物テロはある個人や組織が、意図的・作為的に実行する反社会的・犯罪的行為です。まったく違う概念を一つの法律に押し込めることに無理があると考えます。

(2)2点目はそのことと関連して「情報公開への対応の違い」ということです。
 東京都新宿区の国立感染研で周辺住民らが実験差し止めを求めた裁判の高裁判決(確定判決)では、「感染研においては、病原体等が漏出等しないよう、現代の最新の科学的知見に基づく安全管理体制の構築とその見直し作業が強く求められている。そして、適正、円滑に安全管理業務を遂行するためには、その実情を地域住民をはじめとする国民一般に広く情報公開等して、その理解と協力を得ることが最も重要であると考えられる」と情報公開が最も重要だとその意義を説いています。
生物テロ防止の観点が優先されれば、地方自治体、保健所、住民への情報が遮断され、住民への説明責任は果されないことになります。
衆議院の調査局が作成した資料の88ページにも記載がありますが、武蔵村山にある感染研のP4施設が住民や自治体の反対でP4レベルの実験が行なえない状況にあります。地元の理解を得るためには安全管理に関する情報公開が一つの大きな要素です。生物テロ防止の観点を優先する場合、住民合意を得ることは困難といわざるを得ません。

(3)3点目は感染症法の目的との矛盾です。
自治体や保健所、住民への情報が遮断されることにより、災害時の迅速な対応に支障を来たすものと考えられます。このことは調査局の資料の28頁において、「必要不可欠な連携協力体制の構築への配慮が本法案には欠ける」と指摘されているとおりです。
感染症法は実験施設内感染にとどまらない広い意味でのバイオハザードの発生予防および被害の拡大防止を目的とし、人権の尊重を基本に推進するものであり、その点で、生物テロ対策と両立するものではありません。生物テロの対策法が必要であれば厚生労働省ではない別の省庁で感染症法とは別に定めることを本来検討すべきではないでしょうか。

3.実効性のある施設基準の策定を

最後になりますが、大きな3つめの指摘事項として「実効性のある施設基準の策定」です。
 病原体等の施設の基準については、法案第56条の24関係が厚生科学審議会感染症分科会で審議されています。しかし、議事録を見る限り、実験者や施設側の立場からの意見しか見受けられず、市民、周辺住民の視点が不足しています。
 今までの市民運動の状況を踏まえ、2つのことを指摘させていただきます。
(1) 一つは施設の立地の問題です。
 感染研をめぐる先ほどの東京高裁判決でも「ひとたび病原体等が外部に排出し、漏出等されるような事態が発生すれば、その病原体等の病原性、感染力、漏出量及び伝播の範囲等条件如何によっては、最悪の場合には回復が事実上極めて困難な甚大な被害を招来する可能性があることは何人も否定できないであろう」とした。万が一、漏出しても被害が出ないためには、その場合の重要な点は施設の立地であり、WHOの97年の「保健関係実験施設の安全性」では、「実験施設は、できる限り、患者、住民のいる地域、公共の地域から離れて立地されなければならない」とされている。
このWHOの規定も含めて、現況では住居専用地域でも立地が可能となっている状況を考慮し立地規制、環境影響評価の実施なども含めて検討する必要があると考えます。

(2) 2つ目は、耐震安全性の問題です。
  バイオ施設においては、耐震安全性が安全性の最大の目安の一つとされます。建築基準法で規定する耐震安全性は人命の安全性のみで、病原体等が漏れでないことなどを目標とするものではありません。
 阪神淡路大震災の経験を踏まえて1996年に当時の建設省が定めた「官庁施設の総合耐震計画基準」では、病原体を扱う施設は、構造、設備面、非構造面において大地震動後も施設を継続して使用できることを耐震安全性の目標と掲げ、構造的には通常の建物の1.5倍の安全性が求められています。これは既存施設にも求められており、この基準との整合性を今後具体的な施設基準を考える場合十分検討されてしかるべきと考えます。

 以上、大きく3点を指摘させていただきましたが、これらについては今後の法案審議の中で明らかにしていただきたいと存じます。  以上

注1:本稿の前文は、「市民ネットワークみどり」VOL47に掲載の拙文を一部加筆修正した。

別表

バイオハザード対策 生物テロ対策
生物テロ対策
人権・コミュニティの尊重
社会秩序と犯罪の防止

安全管理情報の公開と説明責任による住民合意

情報の秘密化と監視強化

自治体・事業者・住民の日常的な連携で緊急対応可能

中央省庁による一元管理のため、緊急時の地域連携が困難
衆人環視によるセキュリティ対策となる

バイオハザードは容認
P4施設は強権的に設置


 川本幸立(ボーンセンター運営委員/バイオハザード予防市民センター事務局長)


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