町並み・歴史的環境がまちづくりの表舞台に
さる9月下旬に倉敷市をメイン会場に開催された第36回全国町並みゼミはサプライズの連続だった。まず、「美観地区の外をどうするか」をテーマにした分科会の町並み巡りで丹下健三設計倉敷市庁舎の幻の屋上にのぼることができた。建築を学んだ人には知られていることだが、倉敷市庁舎屋上には野外劇場がつくられている。屋上に突き出たその客席の妻の三角が外観の特徴になっている。幻というのはこの劇場は使われなかったからである。当日の説明では1回だけ音楽会が行われたとか。美術館となった今も普段は閉じられている。
実は私は丹下健三先生の講義を受けている。2年生秋期の「アーバンデザイン」。期待に違わぬと言いたいところだが、実際は先生は数回来たかどうか。あとは代講と休講であった。おまけに声が小さい。一説には学生を惹きつけるための戦術というのだが、先生は普段もそんなしゃべり方だったと思う。で、記憶に遺っているのは、アテネのアゴラから始まって現代の広場の必要性、広島ピースセンターや都庁舎の設計に展開していくストーリー。大学院の時は図書館に通って、建築とは関係のない歴史の本を読みふけっていたものだ、君たちも建築バカにならず幅広く勉強しなさい。後半は、本当にそう言ったかどうか定かではないが、その後読んだ先生の文章で、この講義と倉敷市庁舎のデザインが符合し、以来気になっていた。生誕100周年の今年、ようやく実物を見ることができた。
建築家のイメージ先行と言ってしまえば身もふたもないが、倉敷の町並みに存在感を示すかつての市庁舎が、新しい市民社会をめざした戦後の記念碑として、アテネのアクロポリスのように輝いて見えたのは私の思い入れに過ぎるだろうか。
町並みゼミのサプライズの極めつけは、大原美術館でのパーティ(倉敷を会場に下分科会の交流会)。あのギリシャの神殿風の本館で、アマン・ジャン、コロー…、それに児島虎次郎の名品に囲まれて「飲み食い」をしたのである。理事長の大原謙一郎さんの美術館の逸話も聞き、とくに「美術館は行きて成長していくもの」という信念のもと新しいチャレンジを継続されているという点に感銘。今、神戸垂水区で旧ジョネス邸の保存運動に当事者としてたずさわっているサラ・デュルトさんが美術館の学芸員で、急遽翌日の閉会式で保存アピールをすることになるという副産物(http://jones-shioya.tumblr.com)も。
さて、今回の町並みゼミでは、「町家の保存・活用」が前面に出て来た。まず、町並みゼミ開催の中心を担った「NPO法人倉敷町家トラスト」は、「未利用の町家を再生・利活用し、滞在・定住・商い・交流・地域活動などに利用していくこと、未利用町家の再生から広がる地域活性化を目指す」団体である。「重伝建地区」をめざす、「マンションを阻止する」といったこれまでの活動目標に新しい目標が加わり、大きな流れとなりそうだ。先駆者は「町家再生研究会」「京町家作事組」「京町家情報センター」「京町家友の会」の4組織がネットワークを組み実績を重ねて来た京都だが、同種の活動が各地で澎湃と起こっている気配である。千葉大学で日本建築史を教えているマーチン・モリス先生が久しぶり町並みゼミに参加し、次のような発言をされた:「イギリス政府はケチです。でも歴史的な建物や町並みがよく保存され活用されているのは、古い建物に投資することがリターンを生み出すという市場が形成されているからです。」日本も然り。各地に町家再生をめざす「まちづくり会社」が続々と生まれることを期待したい。もちろん困難は多い。建築基準法、旅館業法、消防法のハードルを特区で一気に突破しようと活動するグループも登場した(国際戦略特区:地域活性化・国際観光振興のための「歴史的建築物活用事業」http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/teian_hearing.html)。今回の倉敷ゼミは町並み運動の画期をなした大会と評価されるかもしれない。
ボーンセンターのことではなく、ほかのNPOのことばかり書いてしまった。大急ぎで千葉の事を書き加えよう。大多喜町役場が2013年のユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞のAward
of Meritを受賞した(日本からの応募が少ないと言われていた。町並み連盟を通じて広く呼びかけたところ金出ミチルさんが動いてくださった)。旧庁舎を解体する事なく新たな役場としてよみがえらせた事が評価された。この建物は今井兼次設計で1959年の作。戦後の近代建築が保存の対象として認識されるようになった。時代は動いている。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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