まちづくりにいるもの:現代的総有
36回目に復興検討委員会有志のペーパー「これからの人口減少と高齢者社会においては、歴史に根ざしたコンパクト・シティによる自然と共生する「免災社会」、「総有(共同)社会」の実現が復興の基本理念として重要である」を紹介した。
「総有」は、民法に規定された所有概念のひとつで「共有」「合有」とともに広義の「共有」を構成する。共同体が入会地を所有する場合などに適用される。宇沢弘文先生の社会的共通資本(コモン)と重なる部分が大きいが、現段階での言い出しっぺは五十嵐敬喜法政大学教授である。少し前、都市計画法改正の動きが盛り上がったとき、新しい都市計画法の基盤となる考え方を模索する中で考えだされた(『都市計画法改正:「土地総有」の提言』第一法規、2009)。
その「総有」概念をめぐる集会が相次いで開かれた。9月に芝浦工大で、京都市から文化市民局局長の平竹耕三さんと都市計画局景観部長の高谷基彦さんを招いて「建築許可を中心とした都市法改正案と現代的総有の試み」が開かれ、その余勢を駆ってつい先週の土曜(12月23日)に「人口減少時代の都市づくりを展望する:土地所有から土地総有への転換に向けて」という集会がもたれた。なぜ京都かというと、平竹さんの著した『コモンズと永続する地域社会』(日本評論社、2006)が、総有を基本に据えた町づくりのイメージを描きだしており、関係者共通のバイブルになっているからである。平竹さんは長く祇園をフィールドに、その土地所有とまちづくりの関係に着目し、その現代的展開を追求して来た。周知のように、祇園町南側地区の土地は学校法人・八坂女紅場学園(設立時は下京区第十五区婦女職工引立会社)が所有する。実質的に関係者の共同所有で、そのことが祇園南側の景観を守ってきた。
平竹さんの本で、日本の事例として取り上げられていたのが、長浜の株式会社黒壁、高松市の丸亀町商店街である。私は「中心市街地に限らず、まちづくりで第一に重要なのはデザインである。ただし、新奇なデザインではなく、人間が歴史を通して都市や建築で実現してきた、空間に生命をもたらすデザインである。基本的には、その風土・場所に根ざしたデザインの原理を読み取り、時代の要求にあわせつつ継承することが大前提となる。このようなデザインは、目指すべきデザインとしてコミュニティにおいて共有され、コミュニティによってはじめて実現される。コミュニティの価値を表すデザインとコミュニティの価値を実現するまちづくり会社は表裏である。これを「総有論のまちづくり」と呼ぶことは許されるだろう。(「高松市丸亀再開発が意味すること」季刊まちづくり0904)」と考えている。と言うわけで、9月の芝浦工大でも12月の京都でも、高松丸亀町について石巻での展開を含め発表を行った。
で、とても興味深かったのは、私の「開発志向」の「正の総有論」に対し、多くの発言者が言わば「負の総有論」を論じたことだった。人口減少社会の中で、戸建て住宅でもマンションでも所有権の放棄が始まっている。しかし所有権絶対の制度の中で、放置された空家・空地の処分、マンションの建て替えがままならなくなりつつある。その突破口として総有論的発想に基づく制度の改正(あるいは特例措置)が期待されるわけだ。今や、自治体の最先端は「空家条例」の制定である。
でも考えてみよう。放置された空家や空地をなんとかしたあと、どうするのか。マンションをどのように再生・建て替えするのか。「迷惑な物」の除去に成功したあと、コミュニティにプラスをもたらす「開発」がイメージされなければならない。そこで「負」を「正」に転換しない限り、明るい展望は描かれない。スーク創生研究所・大島祥子さんの発表「共同住宅で起きている事象から、現代的総有を考える」では、古くなったマンションを活かすユニークな事例が紹介され、とても興味深かった。要するに、総有論は「まちづくりにいるもの」だが、何事にも増しているものは、われわれの想像力なのである。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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