ハノイの憂鬱、いや楽しみ
3月末と4月はじめ、2週間の間をおいてハノイへ出かけた。3月のは、ここ数年続けているハノイ・36通り町の調査に関連して開始した「36町学会」の二回目。パートナーを組んでいるハノイ建設大学の先生たちのがんばりで、結構な重要人物が集まった。ハノイ建設大学の先生たちとは、ロアン先生、ホア先生、ガ先生、全部若い女性!彼女たちは、昨年2月にまわった日本の町並み保存・町づくりの経験について発表した。
4月のは、Forum UNESCO University and Heritage(FUUH)という国際シンポジウム。12回目ということだが、その存在を知ったのは今回が始めて。昨年暮れから誘われていたのだが、3月末に行ったときに強く勧められ急遽参加を決めた。行ってみると、もと文化庁町並み担当官で今は立命館大学教授の益田兼房教授のフループ、京都大学の高田光雄教授と大阪大学教授の小浦久子准教授のグループが参加していた。
ここでも36通り町について発表した。私が「36通り町を、なぜ、何を、どのように保存するのか」というタイトルで発表した後、ロアン先生が、私たちと組む前に、日本が資金を出し、日本のコンサルタントが実施したハノイ市のマスタープランに関する調査(HAIDEP)で行った36通り町の再生提案を、ホア先生が住民参加で進めた環境改善の活動を発表した。ひと通り終わって質問タイム。益田教授がやおら立ち上がって何か質問を始めた。どうも、福川の意見とロアン先生の意見が食い違っていると指摘しているらしい。ロアン先生は、街区の餡の部分にオープンスペースを確保し、表通りと反対側にアパートを提案した。アパート最高8階建てで、益田教授はそのことに異を唱えているようなのだ。
ハノイ36町は、起源が12世紀にさかのぼる。ハノイに宮殿が営まれるとともに、そこへ物資を供給する町として宮殿と紅河の間に生まれた。通りには業種別の名前がつけられ、今でも多くの通りで名前通りの商売が営まれている。いっぽう、ハノイ36町は、おそらく世界で最も賑わう町のひとつである。しかも超過密。100haに15,271家族、66,191人が住む。人口密度は662人/ha(グロス)だ。敷地の数は4341で、1敷地あたりに平均家族数は5.52。ここから計算すると1haあたりのネット人口は2000人を超える。住宅は、いわゆるショップハウス(町家)だが、ことさらに細く長い。深いものでは、奥行が120mに達する。対して間口は3〜4mで、「チューブハウス」と呼ばれる。ここに、5〜7家族が生活し、窓のほとんどないひとつの部屋にひとつの家族が暮らしているというケースも少なくない。
この町を、ベトナム政府は世界遺産にしたいと考えている。町全体が文化財に指定されている。ただし、これまで調査した範囲では、歴史的な建物の割合は3割を切る。だからこそ「なぜ、何を、どのように保存するのか」が問われるのである。歴史的な建物を保存するだけでなく、住環境を改善し、同時に溢れた家族を受け入れるアフォーダブルな住宅を提供していかなければならない。ロアン先生の発表はそのひとつであった。
必要な住宅戸数を割り出し、街区の真ん中にオープンスペースを確保し、通りぞいの高さを抑え、中へ行くほど高くしていく。事業費も算出し可能性を確認してある。論理的にキチッと詰められた案だが、いわば教科書通りのこの案に、私も違和感を感じていた。この町に広いオープンスペースは必要なのか。オープンスペースをとる代償として建物が高くなるが、それでよいのか。
一方、この町の特性をそのまま肯定したような提案もある。シーラカンスを主宰する小島一浩東京理科大学教授の提案する「ハノイモデル」。高温多湿地帯の住宅モデルを開発する研究の中で生まれたもので、36通り町の表通りぞいの敷地に建てる予定で設計された。しかしかなわず、ハノイ建設大学のキャンパスに白い巨体を横たえている。全体は三階建てで、各階の中庭が微妙にずれてつながっていく。スポンジのようなと言えばよいだろうか。特に1〜2階には吹き抜けの、空は見えないが光は入る大きな中庭(ヴォイド)が組み込まれる。空間構成の巧みさには舌を巻く。ただし、私には無秩序に増築を重ねた36町の再生産に見える。見かけほど高い密度が実現しているわけでもない。
さて、コルビジェのタワーズ・イン・スペースを引きずるデザインでも、高度にソフィスティケートされたデザインでもない、第3の道は見つかるだろうか。歴史的なデザインの原理を受け継ぎ、漸進的に有機的秩序を実現していく、そして実行可能なデザインが。ハノイプロジェクトもいよいよ正念場を迎えた。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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