加曽利貝塚世界遺産登録へ、ボーンセンターの役割は?
世界遺産について少し考えてみた。6月に韓国で開催されるシンポジウムでおしゃべりするために必要に迫られたからだが、昨年12月16日の露天風呂(ボーンセンターの公開講座)で訪れた加曽利貝塚のことが急に気になりだした。というのも、この貝塚については文化庁から千葉市に対し世界遺産暫定リストに載せる候補として応募するよう持ちかけられていたが、千葉市は積極的に対応しなかったという経過があったという話を思い出したからだ。
知られるように、日本では、世界遺産が町づくりの目標として一部でブームになっている。数年前、愛媛県の内子でヴァナキュラ建築の国際会議があったとき、尾道市の職員から世界遺産課の名詞をもらってのけぞったことがある。正直なところ、国際的なお墨付きにすぐ飛びつくのは少し軽薄だなと思った。だから、千葉市が加曽利貝塚を候補とすることに熱心でなかったことも、聞いたときにはそれほど気にはならなかった。しかし、斜に構えるのを止め、少しまじめに考えてみると、現状に甘んずる事なかれ主義の方がもっと問題だと思い始めた。
というのも、世界遺産はこの十年ほどで大きく変貌をとげ、新しいチャレンジを受け止める方向へ動いているからである。先に、文化庁が千葉市に持ちかけたのもその一環であった。
世界遺産といえば、ふつうは古代の偉大な文明の遺跡とか、ヨーロッパなどの古い都市とかを思い浮かべる。事実、ヨーロッパの国々の遺産登録数が、全体の半分を占める。そして、教会建築、歴史地区、古代都市、旧市街、城塞など同種のものが多く登録されている。しかし日本が条約を批准した1994年ごろから様子は少しずつかわりはじめた。
1992年、世界遺産に「文化的景観」が導入された。1994年、「世界遺産一覧表における不均衡の是正及び代表性・信頼性の確保のためのグローバルストラテジーThe
Global Strategy for a Balanced,Representative and Credible World
Heritage List」で、記念物偏重からより広範囲な文化的表現へ移行すべきことが決定された。そして同年奈良で開催されたICOMOS総会において「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」が採択され、本物であるということをどのように考えるかについて大きな転換が為され、多様な文化の多様な遺産という考え方が正面に押し出された。1999年「世界遺産一覧表における不均衡是正の方法と手段に関する決議」が採択され、すべての締約国が、未だ世界遺産リストに十分に表されていない遺産のカテゴリーに焦点をあてて暫定リストを準備または再検討することが決められた。
その象徴が、2006年にICOMOS(*)から登録延期の勧告を受けながら、翌年ニュージーランドで開催された世界遺産会議で一気に2ランクアップし、登録が決定した石見銀山である。
ここには、従来の世界遺産のような人目をひく記念物は乏しい。森に覆われた鉱山と鉱山町の遺跡、そのころから営まれてきた集落があるばかりである。集落の一部は重要伝統的建造物群保存地区に選定されているが、銀山がもっとも盛んだった16〜17世紀の建物が遺っているわけではない。石見銀山は、このような複合的な遺跡を新しい角度から適切に評価し、また自治体等が的確なマネージメントを行うことで、文化景観として登録にこぎつけたのであった。つまり、世界遺産は、立派な記念物があるかないかよりも、持てる遺産をどのように現代の文脈に位置づけ、適切な町づくりを行えるかにかかるようになったのである。問題は想像力と実行力だ。加曽利貝塚をはじめとする馬蹄形貝塚とそれを成立させた自然を適切に保全管理し、一帯の住宅地の環境としても活かしていくことができれば、世界に例のない素晴らしい町が生まれるだろう。そのチャンスに呼応しなかった千葉市には落胆する。同時に、それを見過ごしたわれわれ市民も恥じなければならない。
ボーンセンターは今年で10周年を迎える。総会後のテーマは加曽利貝塚である。市民シンクタンクとしてのボーンセンターの存在意義について、よく考えてみたい。
*ICOMOSは国際記念物遺跡会議。世界遺産はここから派遣される専門家の調査・勧告を経て、ユネスコの世界遺産委員会で決定される。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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