市民は敗北感を脱却できるか
台湾・高雄市が主催する「Towards
2008; New Community Features For The International City Forum」に招待された。前代表・延藤安弘先生のところでドクターをとった曾英敏さん(現樹徳科技大学)の紹介である。ボーンメンバーにもご存知の方は少なくないはず。町づくりへの市民参加についてというリクエストだったので、ついつい最近のわが国における都市建築問題の状況に考え込むことになった。
私は、この間の下北沢問題、そして相次ぐマンション紛争を通して、わが国のまちづくりへの市民参加の状況に相当の危機感を持っている。有名なアーンシュタインの「参加の梯子」によれば、市民は、梯子を昇るにつれ、政府による操作の対象から、体裁だけの参加を経て、権力を委ねられ、コントロールを行うようになるはずであった。たしかに川越一番街では「町並み委員会」が住民による自律的マネージメントを実現している。自治基本条例、市民活動推進条例、市民参加条例などのまちづくり条例の制定も盛んだ。にもかかわらず、都市の多くの部分で、市民によるコントロールドどころか、ディベロッパーは建築基準法を満たしていると強弁して、要塞のような巨大マンションをごり押ししている。この論文が書かれたのは1969年、40年前。果たして梯子を少しは上ることができたのだろうか。アメリカでまちづくりNPOをトレーニングするNPOを主宰しているマクニーリーさんが描いた「市民参加のスケール」によれば、形だけの参加から、反対運動を経て、NPOが住宅づくりや町づくりを実践する住民参加が進んだもっとも進んだ段階が実現するはずであった。NPOディベロッパーは少しずつ実現しているが、まだまだ少数派だ。はたしてわれわれは進歩しているのか。
我々の前に立ちはだかっているのは一体何なのだろか。ひとつの問題は、市民が共有できる都市像が結べていないことにありそうである。
市民の多くが次のように誤解している:
「日本の国土は狭いから高層化が不可避だ! 道は広いほど良い! オープンスペースは広いほど良い、高層化すればオープンスペースが確保できる。 いったん決めたら青写真通り(計画的)に作る! 計画通りに作らないからろくな町ができない! 大きいことはいいことだ! 統一的にデザインした方が良い町ができる! 水平過密都市から垂直田園都市へ(コルビジェのタワーインスペース)! 多様性に富んだ自然よりミッドタウンのグリーンが快適!」。
もちろんそんな人たちばかりではない。多発するマンション紛争はまさにそうは考えない人が大勢いることの証拠となる。しかし、そこで市民が勝利をおさめることは残念ながら最近ではきわめてまれだ。しかも、国立ではマンション反対の市長を選出しながら、実質的には負けを喫している。日本のまちづくりがうまくいかないのは、市民の意識が低く力量が乏しいからだという意見も根強いが、やはり制度に欠陥があるのではないか。「反対運動から町づくりへ」は事実上困難な絵に描いた餅ではないのか。
こんなことを考えていたら、ナオミ・クラインの強烈な文章に出会った:
もうひとつの世界に近づけないのは、私たちに理想がないからではない、理想を現実にできないのは、資金がないからではない、エリート階級にはやる気などはじめからない(正義を行えば利益を失うけれど、正義を行わなければもっと大きな損失を被る、そう判断したときにだけ、エリートは正義を選択します)。私たちに欠けているのは強い信念。自信に満ちた
態度で、エリートがおびえるほど強い力で、理想を求め続け運動を支える力が私たちには欠けている。私たちの自信を揺るがすのは、私たちの心にいつのまにか棲みついた敗北感。(『世界』2008年12月号)
この問題を考える大型イベントが久しぶりに開催される。「建築紛争から21世紀の都市づくりへ」5月10日(土)。詳しくはhttp://machi-kaeru.com/。是非ご参加を。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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