満 州 式
グローバリゼーションも悪いことばかりではない。私にとって素晴らしいことのひとつは留学生からいろいろ教わることである。
中国からの留学生・張海星君、7月に博士論文を提出、無事課程を終了することとなった。博士課程進学してから5年半を費やした。時間がかかった理由のひとつは、彼の書いた論文が学会の審査で長時間を要したためである。張君のテーマは、自分の出身地・東北地方の歴史的環境の保全である。東北地方には、瀋陽、ハルビン、長春、大連といったそれぞれ個性的で歴史が豊かな都市がある。一方中国では、東北地方は重厚長大産業からの脱皮が必要な地域とされ、都市開発が推進され「開発と保全」が大きなテーマとなっている。しかし、ここには避けて通れない大きな問題があった。東北地方は、もと満州。日本の統治下でつくられた建物も多く、歴史環境保全ではその評価を避けて通れない。とくに満州国の首都として建設された長春はその問題がモロに立ちふさがる。
ほかの都市同様、長春も古い都市であるが、その外に大規模な都市計画が行われ、日本人建築家の手によって官庁や企業の建物が建てられた。その建築の主流をなすのは、ビルの上に東洋風の屋根をかけた様式で、わが国では「帝冠様式」とか「興亜式」などの名前で括られるものである。帝冠様式の代表例は、国内では、東京国立博物館、九段会館(旧在郷軍人会館)、神奈川県庁舎など。東京国立博物館については、コンペで「大東亜の盟主にふさわしい」デザインが求められたのに対し、前川國男がインターナショナル・スタイルのデザインで応募、コンペ主催者の時代錯誤を鋭くえぐり出したエピソードが有名である。ともあれこのような様式は、当時の建築家が、日本独自の建築様式を模索した結果たどり着いた結果である。しかし大日本帝国や大東亜共栄圏を彷彿とさせるこのような名称で括られる建築を、当時の被統治国が容易に受入れることはできない。積極的に評価できない歴史的建物を抱えて、どのように町づくりを進めていけばよいのか。張君の課題はまさにこの点にあった。
張君が見いだした結論は、長春に建設された建物は「満州式」だということである。19〜20世紀は世界各地で、西洋とローカルなデザインを組み合わせる折衷様式が試みられていた。実は、日本の「帝冠様式」や「興亜式」もその流れの中に位置づけられる。そして、日本人建築家も新しい満州国にふさわしいデザインを模索しており、彼ら自身が「満州式」という言葉を標榜し、デザインを模索していたということである。もちろん、彼らの試みは、短命の満州国と運命を共にする。「満州式」は、深く展開されることなく夭折したのである。ただ、風土に根ざしたデザインは、戦後も「民族様式」として中国人建築家の手で追求されてきた。なお言えば、風土をどう表現するかは今日なお建築デザインの課題である。このように相対化すれば、「偽満建築」にも積極的な評価を与え、町づくりに積極的に活かすこともできるようになるのではないか。
どうです、推理小説とまでは言いませんが、なかなかスリリングで刺激的なストーリーだと思いません?
さて、これぞ学問の醍醐味と言いたいところだが、このような張君の論文は、二人のレフリーの判定がスプリットし、やり取りがあり、三人目が登場し、結局建築学会の受入れるところとならなかった。主張の論証が不十分と言うのがその主たる理由らしい。幸い、町づくりの論文であることを鮮明にし、ほかの学会で発表できることとなったが、これが5年半を要した主たる理由である。
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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