対抗軸は何か
政治の季節となった。都知事選もようやく盛り上がってきた。千葉でも熱い戦いが展開されるだろう。それにしても戦いの対抗軸は何なのか。仮に具体の政策に似通っている部分があっても、候補者や政党の根底にある違いをはっきり認識していることが重要である。多くの場合、マスコミは現実の政策に大差はないという言説を垂れ流し、マイクを向けられた市民の多くが「どっちも同じ」と答えるのが通例である。はっきり覚えているが、ブッシュとゴアの対決の時もそうだった。しかし、ゴアが大統領になっていたら、イラク問題も、地球温暖化問題もまったく異なった展開になっていたはずだ。大切なのは根底にある基本的な違いである。
しかし、政治の構図は、かつての保守・革新とか、右・左といった単純な軸では捉えきれなくなっている。今までは左に傾きがちであった都市住民や若年層が大きく右へ振れている。右と左の中身も多様となった。一本の軸で理解が困難になったときは、軸の妥当性を検討し、必要なら軸を増やすしかない。しかし軸は3本以上になると通常の脳では処理しきれないから、何とか二軸で読み解いていく必要がある。最も切れ味の良い軸を探さなければならない。
すぐ思いつくのは、右・左の軸に、市場原理主義か規制派かの軸を加えることである。そうすると右の規制派はいわゆる自民党の守旧派、左の規制派はオーソドックスな社会主義となる。そして小泉は右の市場原理主義となるが、規制緩和を進める一方で国家主義を強化しようとしている現政権はどこに入るのか? 左の市場原理主義はありうるのか?、という疑問が解けない。この結果、この図式では四象限すべてが埋まらない。市場・規制の対立を超えた第三の道が入り込む余地がない。
構造偽装事件が起きたとき、五十嵐敬喜法政大学教授は、横軸に右・左、縦軸に官治・市民という構図を見立てた。この構図からは、右派市民層の増大と、それを左派市民層へ取り込む戦略の必要性や方法が読み取れる。構造偽装が人々の自治への認識を深めることにつながらないだろうかという期待が背景にあった。ともかく四象限すべてが埋まり、だいぶ分かりよくなる。ただ、現政権や現都政その他を支える保守派市民層が、単純に右派市民層と言えるのかという疑問が残る。右派市民層は、いわば徹底的な個人主義にもとづく本来の保守である。このような本来の保守と、旧来の自民党に代表される日本型保守との違いはかねてから指摘されてきた。しかし右派市民層が単純に日本型保守へ先祖返りしているとは思えない。
というようなことを鬱々と考えていたら、もっとあざやかな二軸に出会った。山口二郎の「政治の可能性を復活させよう」(『世界』3月号)である。この論文では、横軸にパターナリズム←→個人主義・自立を、縦軸にリスクの社会化←→リスクの個人化をたてる。四象限の具体的な内容は図のようになる。ここでパターナリズムとは父親的温情主義。かつての護送船団方式や日本の保守を支えてきた社会構造とともに、最近の保守化=「安心のファシズム」も含みこむ概念だ。無責任な自己責任論、社会的ダーウイニズム、石原知事ほかの暴言・問題発言、それに「美しい国」もこの構図の中で背景を読み解くことができる。さすが政治学者は語彙が豊富だ。自分で考えつくことができなかったのは残念だが、これでだいぶ落ち着くことができた。
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リスクの個人化 |
千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一
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