代表のぼやき

2006.03


構造偽装事件についての覚え書き  
 まず注意すべきは、「我が国の住宅については総数約4,700万戸のうち約1,150万戸(約25%)、建築物については総数340万棟のうち約120万棟(約35%)が耐震性が不十分と推計」されていることである(国交省)。今回構造偽装で強度不足が明らかになった建物は、この数から見れば氷山の一角にもならない。日本の都市・建築の地震防災を真剣に考えるなら、今回の事件はこれら建物の全面的な耐震診断とそれに基づく耐震性能強化へつながらないとおかしい。昨年暮の耐震改修促進法改正はその答えにほど遠い。
 第二は「建築確認」制度の問題。今やすっかり有名になった言葉だが、その意味を正確に理解している人は少ない。「なぜ、建築は「許可」でなく「確認」なのか」は、建築制度をめぐる最大の争点であった。しかし、構造を含む設計を、法律に定めた基準に適合しているかどうか「確認」さえすれば自動的に白黒の判断ができるというフィクションが一貫して維持され、形式的な確認審査を合理化してきた。民間確認機関に建築確認という行政処分を開放することができるのも「確認」だからだ。建築確認事務が自治事務と規定されたにもかかわらず、国が全国一律に規準を定めることを合理化してきたのも「確認」だ。実際には、単体規定、集団規定を問わず、法令と照らし合わせただけでは白黒の判断のつかないグレーゾーンが広がっている。「建築確認」という砂の上にすべての制度が組み上げられていることが、今回の問題の構造的要因である。 このような指摘に対し、年間100万件を超える建築に許可は現実的でないとの反論があるだろう。そこで追求されるべきは、構造計算のような比較的合理的・客観的に判断が可能で専門性を必要とするものを第三者に委ね、自治体は町づくりにかかわる集団規定に許可権をもって注力するといった合理化である。しかし、実際には確認制度をそのままに何もかもを民間機関に委ねた。
 そして第三に、構造偽装の構造的要因は建築制度の範疇にとどまらない。東京の民間検査機関が現場を見ることなく北海道の確認をおろすといった事態は、間違いなく民主主義の根源である自治を弱体化・崩壊させる。市場原理主義者は、ある土地をどのように使うかは、自治体の計画や規制ではなく、市場に委ねることがいっそうの効率化さらには衡平を招くとする。しかしそれは同時に人々が政治的人間として社会を運営する能力を奪う。確かに、色の付かないカネをめぐるゲームは盛んになるだろう。一見自由が増大したように見える。しかしその自由を謳歌していたホリエモンが権力の怖さにあまりにも無防備・無知であったことは象徴的だ。このように考えると、いわゆる構造改革・規制緩和のもと自己責任が声高に言われるようになった一方で、個人の生活や表現活動への監督・監視が強化されつつあるという今日の事態が理解できる。自由主義推進と保守的な秩序の維持・強化という本来正反対にある動きの同時進行は、市民がOSへの関心を希薄化し、もっぱらゲームというアプリケーションに夢中になることで許容される。彼らが「安心のファシズム」を望むからである。コミュニティの土地をどのように使い、どのような建物を建てるかのルール作りは、市民自治のもっとも根幹に係わる行為のひとつである。建築確認を、市民の意志の発露たる自治体が自ら権限を持って行う「建築許可」へ転換することは、われわれの民主主義社会を維持する上で不可欠なのである。

千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一


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