代表のぼやき

2005.05


ボーンセンターの存立基盤

7〜8年前、突然ドイツ人女性が大学の研究室を来訪し、しばらく私の大学院の講義を聴くという珍事が起こった。日本人と結婚し、船橋に住むことになった人で、美しい庭園をつくり愛する日本人と雑然とした船橋の町とのギャップがどうしても理解できないのだという。確かに、夕刻ともなれば客引きがのさばる船橋の駅前は、お世辞にも上品な商店街とは言いがたい。私の講義でその答えが出るわけがなく、若干の討議の後、ドイツ語に堪能な園芸学部の赤坂信先生へお任せした。その後どうなったかはよくわからない。このことを、船橋でボーンセンターの総会を行ったおりに延藤先生へお話ししたら、答えは簡単だった。「どっちも日本や」。
船橋は人口56万人を擁する大都市である。しかし、その規模にふさわしい存在感があるかというと少々怪しい。別に目立つ必要はないのだが、あまりに影が薄いのも考えものである。本家が海神にあった私にとっての船橋のイメージは、いつまでたっても雑然としている西船橋の雰囲気である。しかし、少し考えれば、三番瀬、オートレース、船橋ヘルスセンター、ららぽーとといろいろ出てくる。そういえば、中学生の頃、ゴールデンビーチへ泳ぎにいったことがある。その昔、偶然迷い込んで風格ある農家が建ち並んでいるのでびっくりした大神保も船橋であった。
ゴールデンウイークの1日、学生さんと一緒に船橋をめぐった。なかなかひとつの像にならない船橋をなんとか把握したいと思ったからである。三番瀬を起点に大神保をめざした。予想通り海側も、山側も、船橋の中心市街地も、それぞれすばらしい自然および人文資源を擁していた。先だって三橋さんに案内していただいた澪の下流には魅力的なウオーターフロントが広がっていた。海老川沿いの住宅地は道は狭いが成熟した町が魅力的で住みやすそうだった。大神保の森はとてもひんやりとしていた。
なぜ、急に「船橋」か。実はボーンセンターが船橋のまちづくり白書作成のお手伝いをすることになったからである。船橋では、その魅力に気づいた市民たちがすでにさまざまな活動を繰り広げている。それらNPOなどが主体となって3年計画で白書をつくり、町づくりを総点検する。ボーンセンターは船橋で具体的に活動を行っているわけではない。そのような第三者がこの作業でどのような役割を果たすことができるのか。これはボーンセンターにとってもチャレンジである。中間支援組織として、あるいは市民に立場に立つコンサルタントとして、いわゆる都市計画コンサルとは異なる力量、いや思想が問われる。

千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一


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