吉田泰三君を思う会での話 1997. 2. 2.

 

                                      吉 川  勇 一

 多くの人が吉田泰三君の思い出を語り、彼とともに活動し、彼と語り、彼から学んだことについて話されました。私も彼から学ぶことが多くありました。

 吉田君もそうでしたが、私も大学を出ておりません。今日、司会をやられている吉岡君もそうですし、その他にもベトナム反戦の行動の中で、大学を中退したり、大学進学の計画を捨てたりした人は、今日の参加者の中にもたくさんおられると思います。

 それに代わるべきものは、私たちの反戦の活動の場でした。ベ平連が自分にとっての学校だったという人は多くいるのですが、実際そうだったと思います。かつて鶴見俊輔さんは、ベ平 連は学校は学校でも「メダカの学校」だったと言われたことがあります。「だーれが生徒か先生か」です。そこでは教える人が教わる人になり、教わる人がまた教える人にもなりました。

 年齢が上なら、経験と知識とが多いのはいつの時代であれ至極当然のことですが、経験と知識の多さは教える資格を与えるものではありません。新しい時代を切り拓くには、新しい感覚と新しい生活のスタイル、そして人びととともに生きる資質が必要です。吉田さんから学ぶものは実に多くありました。

 ベ平連やベトナム反戦運動がある意味で一つの学校だったとすれば、この種の集りは同窓生の集り、同窓会の意味もあるのでしょう。ですが、一般の同窓会が、旧友あい集って、亡き友を偲び、懐旧談に花を咲かせ、あとは健康と子どもや孫の話しで終わるのと違う意味が、私たちの集りにはあると思うのです。

 昨年の暮、NHKの3チャンネルが「アメリカ団塊の世代は今」という四夜連続のドキュメンタリを放映しました。ご覧になった方もおられると思います。1968年、シカゴ民主党大会におしかけたデモで、8人の人びとが裁判にかけられました。「シカゴ8」と呼ばれて有名になったその被告たち8人のその後の30年の経過をたどりながら、今その人びとが――なかにはなくなった方もいますが――どうしており、何を考えているかを伝える番組でした。

 その第3夜はブラック・パンサー党の活動家の話でした。昨年11月、カリフォルニア州オークランドで党結成30周年を記念する集りがありました。党の創立者で、議長だったボビー・シールも顔を見せていました。彼は60歳になっていました。ボビー・シールも「シカゴ8」の一人です。この30周年の集りでの彼の話は感動的でした。「未来を見つめよう。われわれは草の根の人びとを組織して自らの考えを全国に広めていった。……世界をより人間的なものとするために。……すべての権力を人民に! Thank you very much.」

 私たちの学校は、「シカゴ8」の人びとが参加していた運動と同様、歴史をつくった力の一つでした。歴史とは、単に事実の発掘と集積ではなく、その時代の光に照されてたえず新しく書かれてゆくものであるのですから、私たちと吉田君とのともに歩んだあの活動も、懐旧の思いだけで振返られるのではなく、私たちが広げようとした考えの大部分が達成されておらず、いや、後退させられている現在、もう一度歴史として明らかにされる活動が必要になっていると確信します。

 吉田君とともに活動した4分の1世紀以上の時間は、大きな意味をもつ歴史の重要な一時代でした。

 そして繰り返しますが、歴史が単なる事実の発掘と集積でない以上、新たな光を当てるのは若い人びとです。そしてそれをさらに新しい、皆さんがたの子どもたちに伝えるのです。

 ブラック・パンサーの女性活動家、キャスリーン・クリーバーやアンジェラ・デイヴィスが語っていることもそういうことでした。

 私より年長の福富さんも戸井昌造さんもおられますが、吉田君を偲ぶ会で、あえて年寄りとして、私が皆さんにお話ししたかったのは、そのことです。

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