97吉川勇一/小林一朗/天野恵一/小林正弥「 デモか、パレードか、ピースウォークか――平和運動、世代間対話の試み」(『 世界 別冊「もしも憲法9条が変えられてしまったら』 2004年10月)(2004/09/10搭載) 

 この『世界』別冊には、2004年4月11日に「平和公共哲学研究会」が主催して東京・荻窪で行われた公開討論集会のうち、パネリストの討論部分の要旨が掲載された。以下は、そこでの発言のうち、ベ平連運動に関連した部分の一部を紹介する。この討論の全体の記録は、近いうちに「平和公共哲学研究会」のサイトに掲載される予定という。

吉川 ……もうひとつ、継承すべき経験とは何か、ということですが、「権力」の問題を例にとります。ベトナム戦争中、べ平連は、岩国に「ほびっと」という反戦スナックを開店しました。ここを拠点にして、米海兵隊岩国基地内部の反戦運動が発展するのですが、日本の警察に徹底的に弾圧されて、最後は閉店を余儀なくされます。その後よく調べていくと、その弾圧は、米国務省、米軍中央、日本国政府、警察庁が連携して、広島県警・山口県警にやらせた国際的な大弾圧だったのです。私は、権力の恐ろしさというものを、そういう経験を通じて認識しました。
 デモのとき、横を歩く警官を見て、これが権力かなどと安易に考えたら間違いです。
 もう一つ、六〇年代から七〇年代にかけて、当時のベトナム反戦市民運動は、異なる意見や立場を持ちながら、共同の行動をどう築こうとしたか、どういうルールを生み出したか、こういうこともぜひ知って、継承していってほしいと思います。私の小林正弥さんに対する批判は、かつての反戦運動の経験を総括して、何を引き出し、何を受け継ぎ、何を捨てるのか、そういうことが明確でないということです。日本の加害責任、戦争責任の問題など、八〇年代までの反戦運動が掘り起こした問題の重要性への認識が希薄だと思います。小林さんのご著書(『非戦の哲学』ちくま新書)では、聖徳太子や墨子の思想から、いきなり自衛隊必要論に飛んでしまう。そこに疑義をもっています。……

天野 …… 私は、デモが終わって警察官に向けて、ありがとうなんて言う若い人には心底仰天しましたが、若い人たちのマスコミ迎合型、マスコミ・メジャー志向の運動にも仰
天しています。先ほど述べた冤罪事件のとき、被告を「爆弾犯」と決め付け、悪魔のように報道しつづけたのはマスコミだったのです。マスコミにのる、受ける運動というものを、すべて否定する気はないですが、そこには難しい問題があることを認識しておくべきです。
 でも、ここに吉川さんがいますから、あえて言いますが、実は私が学生時代、始めにマスコミ・メジャー志向、文化人志向だなと感じた運動は、当時の学生べ平連だった(笑)。でも、そのべ平連にも、デモの中で、機動隊の越権行為を絶対に許さない、自分たちの権利である表現行為を具体的に一つ一つ守る、というある種の文化があって、それを私は、後の運動を元べ平連メンバーと共に担うなかで学んだ記憶があります。だから反権力の旗は降ろさない、それを捨てては平和運動の意味がないんじゃないかと私は思います。……

吉川 ……暴力の問題ですが、小林正弥さんは先ほど、当時の運動を一括りにして「暗い」と言われましたが、凄惨な内ゲバをしていたセクトの連中と、それを必死に止めていたべ平連やベトナム反戦市民運動を一緒にしないでいただきたい。いろいろな方々が、内ゲバを批判し、阻止しようと努力しました。それなしには、いまのような運動もなかっただろうと思います。当時、運動に飛び込んでくる若い人々は、いまと同様、素直で明るい人々でしたよ。
 普通の人々、一般の人々が運動に参加してくるのはとても大切なことですが、しかし運動を明るく、安全で易しいものにすることだけがその保障、と考えるのは一面的だと私は思います。自分の主張をことさら難解な表現で言ったり、独善的なシュプレヒコールを叫んだりするのは論外ですが、自分の意見を、一般の人には隠して言わない、あるいはそれは学者の議論することだ、という小林正弥さんの二元論的ご主張には賛成できません。……
 ……私の、いまのイラク反戦運動が考えてほしいと思っている問題点は、「普通でない人は来てほしくない」というような排除の雰囲気のようなものがありはしないかということです。それは年齢の差ではありません。「左を忌避するポピュリズム」という言葉も生まれて、強く社会的な批判をしたり権力を問題にしたりすると、それは普通の人の感覚ではない、普通の人間が集まりにくくなるから、来ないでほしい、そんなふうに感じてしまう雰囲気です。言葉では決してそう表現されたことはなく、誰でも参加できるということになっています。それだけに議論のやり方はむつかしい。
 小林正弥さんは、違いを棚上げにして共同行動を、と言われましたが、そこにやはり違いがあるんじゃないか。べ平連は、個人個人がやりたいことをやりながら、疎外されたり差別されたりしないで、それぞれが満足できるような全体の構造をつくっていこうと努力したんです。避けるべきことは、自分の意思に反した行動や主張を不本意に押し付けられないようにすることでした。それが「多様性の統一」(日高六郎)ということだったんです。この点を克服してゆくことも大事だと思っています。

 小林正弥 一方では、デモなんかこれまでしたこともないような人、つまりサラリーマンとか一〇代の子どもとか、あるいはかつては自民党のタカ派といわれた箕輪元郵政相のような方も含めた、できるだけ人数の多いデモがあっていいでしょう。他方で、徹底的に意思表示するような先鋭なデモも
あってもいいと私は思います。吉川さんたちとは、感覚の違うところはありますが、その違いを双方が理解しながら、運動の発展にどうつなげていくかを考えたいと思います。……

(『 世界 別冊「もしも憲法9条が変えられてしまったら』 2004年10月に掲載

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