68. 鵜飼哲・道場親信・李孝徳「討議 反戦から見えてくるもの」『現代思想』2003.06.(2003/08/17搭載)

 3人の鼎談で、大部分はイラク戦争と反戦運動についてが語られているのだが、そのごく一部に、以下のように、ベトナム反戦運動、ベ平連についての発言がある。ただ、この中で出て来る金東希についての道場発言には、かなり事実問題での誤認があり、それは、本欄 aD69で紹介してある道場親信『核時代』の反戦平和――対話と交流のためのノート2『現代思想』2003.08.) の注11で訂正されている。

道場 外部と対比しないと見えないというか、ちょっとエピソード的な話をすると、べ平連の脱走兵援助運動の話があって、それには二人の韓国人が関わっている。一人は韓国系のアメリカ兵で、最初アメリカ兵として来て、チェコスロバキアに行きたいということでとりあえずスウェーデンに行った。もうひとりは韓国軍を脱走して密航して日本国内に来た人物がいる。彼は密入国ということで、懲役の実刑を食らい、出所後大村収容所に送られる。その段階でべ平連に話が行って、べ平連の人が大村収容所を考えるきっかけになった。六七年くらい、金東希という人です。
 彼は総評の仲介で、日本政府と総評が話し合って、行きたい国のいくつかに北の名前が上がっていたので、出国の上共和国に「亡命」することになる。平壌空港におりる所が全世界にテレビ中継されたらしい。これは小田実氏が書いているんですが、八〇年代に小田が北朝鮮に行ったときに、金日成に直談判で、ところで金東希という若者が君の国に行ったはずだと言ったら、金日成は知らない、調べておきましょうと。小田実が日本に帰って来たらそんな人物はいないという手紙が来た。
 日本国憲法のもとであるならば軍務拒否は亡命として受け入れられるはずだと最初日本への亡命を主張したらしい。ところが日本政府は当然受け入れない。ベトナム戦争に参戦する韓国軍を脱走した兵士を、本国へ送還されれば重罰が待っている中で、総評と日本政府が超法規的措置で北へ送る。ここには問題がいろいろ重なりあっている。冷戦がそういう形で個人の中でものすごく折り重なっていて、いろいろなところで政治のコマとして動かされてしまうところもある。しかも彼はいまも行方不明ですよね。彼らが韓国軍を脱走したのは六五年の八月、ジェンキンズ氏と同じ時期です。その時代の脱走とか、冷戦で巨大な機構が動いている中で個人で脱出を図るんだけどうまくいかなかったケースであるとか、もっと探究されてしかるべきでしょう。
 べ平連の脱走兵のその後の歴史は調査されてるんですか。
道場 『となりに脱走兵がいた時代』、『帰って来た脱走兵』という本があります。この二つで、何人か追跡できた人に対しては出ています。行方不明になっちゃったり、カーター政権の時に恩赦があって、もともと脱走兵というのは公民権剥奪とか著しいペナルティがあるんですが、カーター政権の時に、帰国しなさいという呼びかけがあったときに、スウェーデンからかなりの脱走兵がアメリカに帰ったらしいです。…… (同書72〜3ページ)

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