66. 茜三郎・柴田弘美「全共闘」河出書房新社 2003.05.(2003/08/12搭載)

 茜三郎・柴田弘美「 全共闘」(河出書房新社 2003.05.刊 定価1,400円+税) は、主として全共闘運動についての叙述、評論、写真だが、その一部に、ベ平連について触れた部分が以下のように数箇所あり、また、写真にもベ平連のデモなどが数点含まれている。しかし、そのベ平連への評価は、以下の二人の筆者の叙述のように、矛盾する点もあり、事実の誤り(「週一回の反戦デモ」はなく、定例デモは月一回。70年6〜7月には「毎日デモ」を33日間続けたこともったが)も含まれ、分析は 表面的である。

 
……そして政治セクトに入ることはためらわれるが、現実に対しコミットしようとした学生たちを“べ平連(ベトナムに平和を、市民連合)”が吸収した。べ平連の活動は六七年頃より広範な学生・市民を巻き込み、週一回の反戦デモをくりひろげるうち、末端にいわゆる良識的学生層をとり込み、集会・デモ行進の規模としては政治セクト系を大きく上まわった。明確な組織と統一した論理をもたぬ一方、そこへ結集する間口の広さは各大学・地域等の制限をもたぬがゆえの、ある種の気軽さも手伝っていた。しかしこの中から将来、政治への伸展をはかる者、地域の個別的問題に取り組む者等、これまでの政治運動の範囲を大きく超えた形式での運動を形成するようになる。しかしその反面、反ベトナム戦争・反安保というだけの一致点しかもたぬ責任性の稀薄さは、闘争が終息するに従って散逸の速度も予想以上の速さであった。
 後のことだが、七三年、北ベトナム軍による南北ベトナムの統一を「平和の到来」と読み違え、米国イコール悪者、北ベトナムを解放軍ととらえた者も多数存在した事実は、国際政治力学の解釈を誤っていたことを物語っている。……(同書17〜18ページ 茜三郎「全共闘とは何か」より)

 ……新左翼にとってこの問題が初めて認識されたのは、六九年初夏の、新宿フォーク・ゲリラの広場闘争においてだったことをつけ加えておこう。フォーク・ゲリラはただ歌をうたってただけだと思っている人もいるが、広場を「闘いとる」ために日常的にねばり強く行動していたんだ。その結果としてほぼ毎日、討論集会などがもたれる一種の解放空間のようになっていた。そこへ、華僑青年闘争委の人たちが、入管法改悪反対のハンストをもち込んだんだ。新左翼は中国・北朝鮮の社会主義も批判することが多かったから、この問題にはうとかったんだ。新宿フォークゲリラの広場で初めて入管問題を知った人というのは少なくないはずだよ。
A ベ平連系というのは思想性とか突出力とかを期待しても仕方ないけど、ねばり強さはあったと思うね。七〇年の毎日デモとか……今でも横田基地にはりついている 人がいるくらいだ。……(同書 123ページ 柴田弘美「〔架空対談〕全共闘――その精神の過去・現在・未来」より)

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