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2 杉本秀太郎(文)・甲斐扶佐義(写真)『夢の抜け口』(青草書房 2010年2月)(10/02/11掲載)
この本は、文と写真の書籍で、甲斐扶佐義さんが写真が「京都美術文化賞受賞」となったもの。この本の帯には「京都の綾(あや)と澱(よど)みを、夢現(ゆめうつつ)のさかいなく、響きあう文と写真をとおし、心ゆくまで堪能してほしい。――井上章一」とある。毎ページの右側が写真、左側が文になっている。
この書籍にある著書の紹介は以下のとおり。以下は、岩国でのベ平連「ほびっと」の凧揚げに関連した文のところだけの抄である。
杉本秀太郎 1931年、京都市生まれ。京都大学仏文科卒。国際日本文化研究センター名誉教授、日本芸術院会員。『洛中生息』で日本エッセイストクラブ賞、『文学演技』で芸術選奨文部大臣新人賞、『徒然草』で読売文学賞、『平家物語』で大佛次郎賞を受賞。著書は他に『大田垣蓮月』『伊東静雄』『徒然草を読む』『花ごよみ』『火用心』『ひっつき虫』など。主な訳書にボードレール『悪の花』、アラン『音楽家訪問』、フォション『改訳 形の生命』など多数。生家は寛保3(1743)年創業の京呉服商「奈良屋」。 甲斐扶佐義
写真家。1949年、大分市上野生まれ。4歳のとき山香に転居。同志社大学政治学科入学(即除籍)。べ平連の運動に参加。岩国市内の反戦喫茶店参加。京都今出川に「ほんやら洞」オープン。京都木屋町に「八文字屋」オープン。2009年、第22回京都美術文化賞受賞。主な写真集に『京都出町』『ぼくの散歩帖・地図の無い京都』『美女365日』『猫町さがし』『京都の子どもたち』『生前遺作集』『路地裏の京都』『インドちょっと見ただけ』など多数。 |
八文字屋。またの夜。
――甲斐さん、君は凧上げの名人だってね。
――ええ。岩国の米軍基地反対の「ホビト」(habitの転訛)の集まりのとき。
一九七一年五月五日、端午の節句の日です。
――凧で米軍機の発着を妨害しようという着想の妙。おもしろいね。ジェット機にとって危険なのは鳥でしょう。ジェットの口が鳥を吸い込むと大事故になる。鳥に代るものとなれば凧という着想はすごい。そこで何百という凧を皆で上げた。しかし米軍機の離着陸を妨害できるほどの高さには届かないし、思いどおりの位置に凧を安定させるのは容易ではない。糸が足りない。風向きが変る。狂い凧も続出する。ところが、たった一つの凧だけが、遠く、高く、航路に当る空中に座を占めて動かず、舞い狂うことがない。自衛隊員がかけつけて、「これは命令ではない。頼みだ。あの凧を、何とかして下さい」といった。その凧は、君が上げていた、と。
――ええ。鶴見俊輔さんは、いまも、あの凧を思い浮かべると涙が出るといってます。
――それだ。あの人は、ただ一点、ただ一挙止、ただ一語によって人を認める。認めたらいつまでも忘れない。特製のカメラを内蔵していて、印画紙も特製。褐色しないね。分析が記憶をこわさない。反対に、銅版腐食の酸のように分析、思考が働いて記憶の彫り込みがいっそう強化される。記憶に対するパンセの腐蝕性を研究していたメーヌ・ド・ビランがこの特例を知っていたら考え直したかも、ね。
――メーヌ……?
――いいんだよ、聞き流しといてくれ。十八世紀末の小振りの哲学者。鶴見さんは、また、ほめじょうずだね。あの人が笛を一吹きすれば、棒の先でヘビが踊り出す。
――ふっふ。ヘビ、また出たぞ。
――ぼくが緒方三郎維義にこだわっているのはホビトの凧上げを聞き知ったよりも前からのことなのだが、君の凧上げ一件を知るに及んで、アレ、では、ぼくの勘も万更捨てたものではないかもしれない、と。
――ええ。
――君がにぎっていた凧糸は、大神の娘が母親の言うことを真(ま)に受けて、通い婚の水色の狩衣の襟髪に刺した緒だまきの糸なのだろう。空高くあがって、空という広い洞穴に居座っている凧は、針を首に刺されたヘビそのものだろう。君は、緒方大丈夫の息子のあかがり大太の孫の子の三郎維義として、反平家すなわち反米の旗印を凧にして、空にかかげでいたのだ
ろう。いや、ちがうな。君は妣(はは)たちのひとりとして、通い婚のヘビに無限の恋着をおぼえでいるがゆえに、手中の凧糸を操り、君が強く引けば、はるかな上空で頷き(うなず)き返す凧とこころを通わせていた。君は凧の母になっていた。君の目玉は凧にくっ付き、凧から下方の岩国基地を見おろして観察をつづけた。きっと凧はカメラも君からもらっていた……
――ふっふ。笛がじょうずですね。もう一杯、注ぎましょう。
――あのね、山香近辺の地図を、ざっと描いてくれないか。
――ええ、略図でよければすぐ。
すぐ描いてくれたが、八文字屋の暗燈の下では、書き込みの文字も定かならず、あまりに略図すぎる。
――もっと詐しいのを頼む。描いたらすぐ連絡して下さい。
あけ放しのドアから出たとき、目の前のエレヴューターからふたり連れの西洋人が昇ってきた。婦人のほうは常連客。連れの男性は岩穴のように暗い店の入口で少しためらって入っていく。すでに鼻を撲(う)つ匂いに彼は気づいている。けさの母乳に、それともゆうべの羊水に、そなわっているかもしれないような匂い。
(『夢の抜け口』199〜207ページより 、右の写真は、上から、198ページの2007年 木屋町、200ページ 1994年 八文字屋、202ページ 1988年 八文字屋、200ページ 1994年 八文字屋より、一番下は230〜231ページの山香近辺の地図の手描き。)