162 佐高信・澤地久枝「世代を超えて語り継ぎたい 戦争文学」(抄) (岩波書店 2009年06月刊)(09/07/03掲載)
「大岡昇平の章」の「引き金を引かないとき」の中の一部 152〜154ページ
澤地 (上略)……大岡さんは、引金を引かなかったことを、だからどうだと言っているのではない。体力はなかった。戦局が絶望状況だということはわかっていた。そして、相手の顔が見えた時、積極的に殺そうという気にならなかったというだけだと言う。さいわいなことに、ほかで銃声がして、若い米兵はそっちへ行ってしまった。引金を引かずに済んだ。そして、俘虜となった。そういう受け身でもあった経験なんです。戦場では敵味方双方に恐怖があって、出会った瞬間に引金を引く。それで勝負はつき、生死は分かれる。しかし大岡さんは違った。引金を引かなくて本当によかったと思う。
ベトナム戦争中、べ平連が助けた脱走米兵の一人は黒人でしたが、彼はジャングルの中を負傷した上官を引っ張って走っていた。すると向こうから解放戦線のゲリラが来た。銃を構えて撃つばかりの姿勢になっている。ジャングルの中の一対一ですから、敵を見た瞬間に撃たなければならない。でもそのゲリラ兵は、黒人兵と見た瞬間、方向を変えて行ってしまったというのです。この黒人兵士がどんな歴史を背負ってそこに来ているか、一瞬の判断をしたのでしょう。引金を引かずに行ってしまった。そういうことがあるんですね。
佐高 戦争には行かざるを得なかったけれど、ここだけは譲らないというものがあったと思うんです。おかしな批判をする人は、それを全部飛ばす。
脱走米兵で思い出したのですが、鶴見俊輔さんの回顧録を読んでいてなるほどと思ったのは、脱走兵の中にスパイが一人混じっていたという話があるでしょう。それで、本物の脱走兵はチャランボランなのに、スパイはきちんとしていた、と(笑)。
澤地 スパイはきちんと筋道立てて話したそうです。ベトナム戦争批判を筋道立てて。いかにも戦争忌避の青年らしくね。しかし、送り込まれたスパイだった。人間の道理だなと考えさせられました。
佐高 脱走兵は、本当に戦争がいやだと抜けるわけでしょう。そういう時に、理屈はあとから来るわけですね。スパイのほうは目的を持って入っているから……。
澤地 整理された論理を持っている。用意されたね。こういう話、人間がどういうものか、よくわからせてくれます。
佐高 脱走兵は、すごくはしゃいだりする。
澤地 そうそう。大声を出したり、お酒を飲んだりね。
佐高 吉岡忍の実家は長野のけっこう大きい家なんだけど、そこへ匿っているとワーワー騒いだりする。でも生きるか死ぬかの人たちは、理屈立っては動いていないわけですよね。
澤地 理屈とか理論によって、生と死が分かれるような決断ができる人は、限られた人だと私は思う。
佐高 ほとんどいないでしょう。
澤地 どうも理屈や理論というだけでは弱いんだと思う。インテリはそれがいいと思っているかもしれない。つまりイデオロギーに基づいた非転向とかが非常にいいと思っているけれど、そうじゃなくて、自分の骨肉になっている何かが人を動かす。そのほうが強いでしょう。でも、何となくインテリはそういうのはくだらないように思うのよね。
佐高 久野収先生は、戦争中、言論弾圧で逮捕された小林勇さん(岩波書店元取締役会長)がすごく頑張れたのはインテリでなかったからだ、と言われていました。つまり、頭でなくて、ハビットというんですか、習慣とか習性になっているもので抵抗する。
澤地 小林さんを私はとても尊敬しています。見事な日本人。その『蝸牛庵訪問記』を読むと、彼が私淑した幸田露伴の、戦争への痛烈な批判の姿勢もよくわかります。学歴はなくて叩きあげた人、本当の教養人。叛骨の人です。その人の身に備わってしまっているもの、本能のようにね。それが判断し拒絶したら、それは強い。
佐高 私は引金を引かなかったあの場面が、大岡文学のある種の核なんだろうと思います。…… (後略)