139鶴見俊輔「共同の旅はつづく」 (『朝日新聞』2007年7月31日)

 以下は、小田さん死去の翌日の『朝日新聞』 文化欄に掲載された鶴見俊輔さんの文です。鶴見さんの諒解を得て、その全文を転載します。

  共同の旅はつづく ――作家・小田実さんを悼む――
                    鶴 見 俊 輔 
(哲学者)

 作家の小田実さんが30日、死去した。ベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を小田さんらと結成し、歩みをともにした哲学者の鶴見俊輔さんに追悼の思いを寄稿してもらった。


 なかいあいだ、一緒に歩いてきた。
 その共同の旅が、ここで終わることはない。
 小田実の死をきいて、そう思う。
 一九六五年にベ平連をはじめてから、共同の旅は、すでに四十二年、小田実と共に歩きつづけた道を、彼は、明るいものにした。そういう力をもつ人は、私の記憶では、多くはいない。そういう人だった。
 高校生のころから小説を書きはじめ、米国留学、その帰りに、ひとりで見たものについて、『何でも見てやろう』の腹案を得て、この本を書いた。それは、戦後の日本に新しいスタイルの文学をもたらした。
 紀行文として、鴎外、漱石、荷風ともちがい、むしろ、幕末の越境者万次郎に通じる風格をもっていた。
 万次郎が米国に対した時、米国は大きい。小田実にとって、ヴェトナム戦争に反対した時、米国は大きい。しかし、彼は、その米国の大きさにひるまない姿勢をもっていた。この独特の姿勢が、当時の日本人に共感をもたらした。米国の軍艦から離脱した十代の米国人が、それぞれ、米国の軍事力を内部から知っていて、それに対抗する道をひらいた時、彼らは、米国の力にひるまず、離脱者の目的に協力する日本人の仲間を見いだした。両者のあいだに、互いによく知らないままに、よく似た仲間かいた。その協力の姿勢はすでに四十年を越えて、お互いの中にひびきあう力をもっている。
 小田実は、高校生のころ、中村真一郎らの影響を受けた。ハーヴァード大学に留学してから、トマス・ウルフの文体の影響を受ける。
 自分を今この一瞬取りまく、ばらばらのものを同時、無差別に感じとり、心にきざみつける文体を、彼はトマス・ウルフから受けとった。
 過去の文学から、洗練された技法を受けつぐのとはちがう。若いときから学んだギリシャ語を自分の中に保ち、病気に気づいてからも、自分でホメロスを訳しつづけた。
 もっとも古い西洋の古典と合流する身がまえには、人生の終わりに立って、この時代全体を見わたし、人間の文明を広く見て何かを言おうとする、彼の文学の特色、彼の人間の特色がある。
 最後の小説『終わらない旅』には、世界に対する彼の姿勢があらわれている。『何でも見てやろう』と肩を並べる名作である。彼と旅をしたことは私の光栄である。これからも共同の旅はつづく。
 左 思いを語る小田実さん=05年12月、兵庫県西宮市で 右 日本に寄港中の米空母から4人の米兵が脱走したことを記者会見で発表する小田実さん(右から2番目)、その左が鶴見俊輔さん=67年、東京で)
   (『朝日新聞』2007年7月31日)

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