105 武藤一羊「抵抗への支持と連帯との関係性」( 『市民の意見30の会・東京ニュース』No.89 2005.04.01.)(2005/05/05搭載)
 

四〇年前のベトナム戦争と今との最大の違いの一つは、かつては、誰に反対するかだけでなく、私たちが誰を支持しするべきかがはっきりしていた、少なくともはっきりしていたと思えたことだろう。ベトナムに平和を!を唱えるベ平連の運動も、ごく初期から「ベトナムはベトナム人も手に!」というサブスローガンをかかげていたが、これは「解放戦線に勝利を!」というスローガンとは区別されていたとはいうものの、強く解放戦線支持を含むものであった。北ベトナムと解放戦線の戦いは、帝国主義と植民地主義を打ち破る民族独立・統一の闘いとして疑うべからざる普遍的な正統性を備えていた。悪の元凶はアメリカ帝国主義、善玉はその侵略にたいして毅然として闘うのはベトナム人民、そして私たちはこのベトナム人民を支持し、それに連帯するというのがベトナム反戦運動の基本的スタンスであったが、このベトナム人民は北ベトナムと解放戦線によって組織的にもモラルの上でも代表されているという前提が、反戦運動全体に共有されていたと言ってよい。(べ平連はサイゴンの第三勢力や反共の立場に立つチクナット・ハーン師など、解放戦線以外の勢力とも関係を持ち、明示的に解放戦線支持ではなかったとはいえ、解放戦線に対抗してこれらの勢力を支持するという立場ではなかった)。
今日、とくに9・
11以降の状況のなかで、反戦運動が誰を支持し、誰と連帯するかは自明ではなくなった。悪玉は明確に見えている。世界をしきる権利を一方的に宣言し、国際法も他国の主権も無視して一方的に軍事力を行使するアメリカ帝国である。この帝国の侵略は、それへの抵抗権を発生させる。私たちはイラクの民衆の抵抗権をはっきり認める必要がある。それは、暴力対暴力だからどちらも悪い、という立場――アメリカを免罪する立場――から明確に区別される立場である。そこから私たちは、外国占領軍の無条件撤退という要求を引き出しているのである。だが侵略と占領の下におかれたイラクで、抵抗権はあらゆる形で、またさまざまな動機に沿って行使される。そのなかには、米軍への武装攻撃やファルージャでのように米軍への自衛抵抗のほか、占領軍・かいらい国家体制の不安定化のための爆弾攻撃や「自爆テロ」など、一般市民を巻き添えにする暴力行使も含まれる。私たちは、これらが抵抗権の行使だからと言って、無条件にそれらを支持はできない。抵抗権があるということと、私たちが誰と連帯できるかということは、関連はあるが同一の問題ではないのである。ベトナム反戦では、ほとんど重なると見えた二つのレベルが、ここでははっきりと分離してきているのである。
 連帯をめぐるこの状況――それはイラク同様米国のアフガニスタン侵略でもそうだった――は、困難をはらんでいるとはいえ、連帯ということの本来の姿だと私は考えている。ベトナム人民の独立・統一への権利への無条件支持と、解放戦線への連帯とが一致した――かに見えた――というのは幸いなケースであったが、同時にそれは不幸でもあったと今から総括し直す必要がある。このかつての連帯関係においては、解放戦線は理想化され、私たちにとって外部化され、当時のベトナムの民衆の闘い、恐れ、苦痛、苦悩、動揺の実際から私たちを遮断する盾としてさえ作用したのではないかと思えるからである。イラクの現実と関わる上で見えてきているのは、連帯とは、双方向の相互作用の中で、新たに共有しうる運動を作っていくことにほかならないということではないだろうか。むちゃくちゃに異なった現実の中で、それぞれが自分たちの必要と原則に照らして相手を判断していく、そして相互作用に入っていく。その中でこちらも変わるし、相手も変わるダイナミズムが展開していく。お互いにあらかじめ連帯しうる相手がいるわけではない、という一般的な前提の下で、なおかつ接触し、議論し、論争し、連帯の基盤を発見し、作り上げていくというのが、今日の反戦運動の中で私たちが挑戦すべき課題だ。この課題は四〇年前にも存在したのだが、当時のベトナム反戦運動はその姿を見切ることができなかったのである。
(今日の連帯の問題性については、季刊『ピープルズ・プラン』の
28「イラクの抵抗運動とグローバル反戦運動の出会い」、『インパクション』145 武藤一羊 ききて天野恵一「帝国の虐殺への『抵抗の暴力』をめぐって」などを参照)
{むとう・いちよう、ピープルズ・プラン研究所}
(『市民の意見30の会・東京ニュース』No.89 2005.04.01.)

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