100山口文憲「団塊ひとりぼっち 連載6」(抄)( 文藝春秋『本の話』 2004.11.)(2004/11/15搭載)

 芸大受験準備中の筆者が、ベ平連に加わり、どのようにしてドロップアウトになってゆくかを、興味ある筆致で描く随筆。連載中。

…… 転落のきっかけとなったその日のことは、いまでもよく覚えている。あれは六七年か。手にはトランペットのケースを提げていた記憶があるから、あるいはレッスンの帰りか淋なにかに、ちょっと覗いてみようという気になったのかも知れない。  
 当時、べ平連の事務所は、御茶ノ水の駅のホームからもよく見える、神田川べりの雑居ビルの二階にあった。狭い階段を上がっておそるおそるドアを開けると、奥のデスクに、「巨人の星」の花形満みたいなスカした感じの若者がいて、しかつめらしい顛で会計帳簿をつけている。これが後にノンフィクション作家となる吉岡忍(一九四八年生れ)で、このときはまだ早稲田の政経に籍だけはあったはずである。
 「あの、なんかお手伝いすることはないかと思って……」
 私がそう口を開くと、ジーパンに黒シャツの袖をまくりあげた吉岡忍は、「じゃあ、発送を手伝ってください」と事務的にいって、部屋の中央の作業テーブルを顎で示した。そこで私は、何人かの学校帰りの高校生たちに混じって、いわれた通りに「べ平連ニュース」を封筒に詰める作業にとりかかったのではなかったろうか。そのときはもちろん気づいていないが、こうして私は、ドロップアウトの方向へ向かって最初の一歩を踏み出すのである。
 まあ、ありえないことだとは思うが、もしあのとき吉岡忍が、「手伝いはいらないから帰れ」と私にいっていたらどうだったろう。あるいは、あれよりもう少しだけ感じが悪くて、私にまたそこへ来る気を失わせるような態度に出ていたらどうだったろうか。そうすれば、私の人生もまったくみちがったものになっていた可能性もないではないが、しかし残念ながら、現実はそうならなかった。そして私は、その日以来、連日のようにべ平連の事務所に顔を出すようになる。
 ここから先は、もう坂道を転げ落ちるだけだった。
 そのうち私が脱走兵援助の活動にたずさわるようになると、転落の速度はさらに上る。なにしろ、べ平連を頼って脱走してきた米兵を、ひそかにかくまう仕事である。そして決行の日がきたら、かくまっていた彼らを、当時のソ連経由でスウェーデンに送り出すために、警察の目をかいぐぐつて北海道の港まで連れて行く任務である。こんな血沸き肉躍る体験をしてしまったら、もう辛気臭いラッパの練習などしていられない。
 その線果、私は逮捕されて、ドロッププアウト決定となる話はすでに申し上げた。おかげで、それまでに受けたレッスンもなにもかもがパアになったわけだが、その蓄積が思わぬ場面で役にたったことが、その後たった一度だけある。……

 (文藝春秋『本の話』2004年11月号 p.72〜73)

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