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忍野パーティ99年秋のご報告(99/09/20)「忍野パーティー99年秋」のバーティは9月18日(土)の夕刻から翌19日にかけて、恒例の山梨県忍野村忍草の吉田和加子さん宅前の庭で開催されました。天気は曇り、時々霧雨でしたが、気温は例年よりずっと暖かく、防寒具は不要でした。庭には大きなテントが張られ、その脇にはいつものように大きなバーベキュー用のかまど。
出席者は、ふだんに比べて少し少なめの30人弱でしたし、主催者の一人、戸井十月さんが、仕事で愛知県のほうにおり欠席でした。その代わりというわけではないのですが、今回は初めて画家の戸井昌造さんが出席され、大歓迎でした。この日は、ご承知の方も多いでしょうが、まさに満州事変勃発の日。戸井さんからは、現在の状況が戦前の空気ととても似ているという話が、ご自分の体験にもとづいて具体的に紹介されました。
戸井さんは、太平洋戦争中に、学徒出陣で戦争に参加させられた一人。会場の吉田さん宅から歩いてすぐのところに、自衛隊の北富士演習場の基地があるのですが、ここは、戸井さんが見習士官としての訓練中、実弾射撃などの実践訓練をやらされた場所、しかも、その間、「反軍思想のかどで、重謹慎2日」の処分を受けた!という思い出の土地なのです。戸井さんは、基地の正門や、垣根沿いに車でまわり、当時のことを話してくれました。この経験を含めた戸井さんの軍隊経験は、 『戦争案内――ぼくは20歳だった』という画文集(晶文社、1986年)に詳しく絵入りで紹介されているのですが、この本はこの9月に、平凡社から「平凡社ライブラリー」文庫(¥1,100+税)で再刊されたばかり。(右の写真は同書より、重謹慎中の戸井さん) 戸井さんがもってきたその本はもちろん、即時売り切れ。この文庫本には、新しく戸井さんの「あとがき」と、落合恵子さんの「解説」がつけられているが、この「あとがき」が、先に紹介した「現在が新しい戦前」という今の戸井さんの一番の思いをのべたもの。ぜひお求め下さるようお奨めします。
次々とだされるワインや日本酒、さまざまの手作り料理を囲みながら、この日は、日の丸・君が代問題などに象徴される最近のすさまじい政治の動きが、いったい何を意味するのか、これを推し進めている勢力は、日本の青写真として、どのような構想をもっているのか、などが話し合われました。また、最近のコソボ爆撃、東ティモール情勢などとも関連して、国家、民族、民族自立、内政不干渉などの現代的意味について、さらには、欧米植民地主義、帝国主義の歴史的意味と、意見の交換は広範囲にわたりましたが、非常に中身の濃い、充実した話し合いになりました。そのほか、埼玉NPO連絡会に参加して中心的役割を果たしている浦和市民連合の経験が紹介され、現在の市民運動と反戦運動とのかかわりなども積極的に意見交換がなされました。
※次回の忍野パーティーは、2000年5月第3週の土日の予定です。なお、来年の秋の日取りは、5月と9月とでは、時期が接近していることと、9月の天候が不安定なことから、ためしに1ヶ月遅らせて、10月にやってみようということにもなりました。
今回の出席者は、吉田和加子(お姉さん)、吉田宗弘(お兄さん)、吉田典弘(甥ごさん)、吉田めぐみさん(そのお連れ合い)ら、泰三さんの肉親の方々のほか、遠藤洋一、加藤久美子、川勝なおみ、川勝泰輔、川崎通紀、黒田光太郎、佐伯昌平、椙浦憲子、関口一喜、関谷滋、中村鈴子、戸井昌造、東一邦、堀田卓、堀内菊子、真板恵夫、持田直人、吉岡忍、吉川勇一などの方がた。(敬称略)