1966年1月
1〜3 「非暴力直接行動委員会」、石川島播磨および日産プリンス、日立亀有、伊藤忠の4社の前で、出勤する労働者に軍需生産中止を呼びかけるビラを配布。(A−02)
3 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ3大陸人民連帯会議(ハパナ→15日)、100ヵ国500人が参加。帝国主義・新旧植民地主義反対闘争の強化を決議。
6 ハリマン米移動大使来日、ベトナム和平工作について佐藤首相と会談。
9 べ平連事務会議。常任世話人(内務、渉外、広報、経理)を決定。俗称「べ平連内閣」制発足。
12 ジョンソン米大統領、一般教書で侵略停止まで米軍は南ベトナムに駐留と言明。
19 ジョンソン米大統領、ベトナム戦費として追加支出127億6,000ドルを要請。
22 べ平連第5回定例デモ。清水谷→御茶ノ水。100名。
24 ジョンソン米大統領、予算教書を提出(歳出1,128億ドル中、ベトナム戦費は103億ドル)。
29 ローマ法王パウロ6世、国連加盟の中立国によるベトナム和平解決を提唱。
31 米軍、クリスマス停戦以来休止中の北爆を再開。●ジョンソン米大統領、国連安保理事会に戦争終結のための国際会議開催を要請。
◎この月、いいだもも著『核を創る思想』(講談社)刊行。
1966年2月
1 国連安保理、米提案をめぐり開会(2日議題として採択。北ベトナムは安保理のいかなる行動も拒否すると声明。解放戦線と中国も同様声明)。●日本の株価、北爆再開で軍需産業株を中心に高騰。
6 ホノルル会議、米国と南べトナム首脳が会談(8日まで)。
7 東京で数学者による北爆1周年抗議の集会。消防会館。デモ→東京駅、200名。
10 総評臨時大会、ハノイ、ハイフォン爆撃にはストで抗議と決定。●ジョージ・ケナン元駐ソ大使、上院でべトナム軍事介入は日米友好を阻害すると証言。
13 米大学教授65人、『ニューヨーク・タイムズ』紙にべトナム侵略反対の公開質問状を掲載。
17 ソ連外務省、日本のべトナム戦争協力に抗議覚書。●米下院極東問題小委員会、日米関係はベトナム・沖縄問題で対立を内包していると報告。
18 ラスク米国務長官、上院公聴会でSEATOが米のベトナム介入の法律的根拠と言明。
19 べ平連世話人会。教文館。
23 米カリフォルニア州オークランド徴兵センターに徴兵反対の女性だけのデモ。●朴大統領、ハンフリー米副大統領との会談で韓国軍2万の増派を約束。
26 べ平連第6回定例デモ。清水谷→日比谷公園、50名。●日本政府、ソ連の対日抗議(17日)に反論。
28 長谷川修児による「詩のべ平連」のベトナム反戦詩集第−集『人間に背くもの』発行(以後75年7月までに19集発行)。
◎「非暴力反戦行動委員会」、ベトナムでの核兵器使用、ハノイ爆撃などが行なわれた場合、アメリカ大使館前で非暴力直接行動をおこなおうという「よびかけ」のビラをひそかに配布する。(S-01 p.)→1969/06/30
◎1965年2月から1年間に北爆で投下された爆弾・ロケット弾の総量は約3万トン。米軍発表では北べトナム燃料施設の86%、貯蔵量の57%以上を破壊。
1966年3月
1 米議会、ベトナム戦費として追加支出48億ドルを承認(要請の38%)。
2 マクナマラ米国防長官、南ベトナムの米軍兵力は21万5,000、現在2万を増派中と発表。
5 テーラー米司令官、ハイフォン港の封鎖を提唱。
9 東京でベトナム反戦国際行動についての懇談会。
10 南ベトナムのダナン、フエ、サイゴンで反政府抗議デモ。政治紛争に発展。
11 スカルノ・インドネシア大統領失脚。翌日、共産党非合法化。
16 サイゴンで仏教徒の反政府デモ(各地に波及)。
20 『べ平連ニュース』値上げ(年200円以上→300円以上)。
24 椎名外相、「ベトナムは極東の範囲外だが極東の平和と安全に関係ある時は安保条約の適用範囲と解釈する」と発言。●パートランド・ラッセル卿、在ベトナム米将兵へのアピールで米の戦争犯罪を糾弾。
25 米「ベトナム戦争をやめさせるための全国調整委員会」のよびかけによる国際行動デー。東京では「3・25国際ベトナム反戦デー中央集会」社会文化会館ホール、400名。講師・飯坂良明、鶴見良行、日高六郎。このほか札幌、京都、大阪などで各種の行動。
26 べ平連第7回定例デモ。清水谷→東京駅、100名。
27 南べトナム、ユエで仏教徒2万人の反政府デモ。
◎この月、開高健著『饒舌の思想』(講談社)刊行。
◎この月、べ平連事務所が港区赤坂丹後町の久保圭之介事務所より新宿区赤城元町32に移転。
1966年4月
1 南ベトナム各地で反政府デモ激化。
3 ダナン市民、反政府を宣言。
5 べ平連第1回常任世話人会。
9 バークレーの「べトナムの日委員会」本部が爆破され、事務員数名が負傷。●サイゴンの統一仏教会、キ首相の退陣を要求し、仏教徒代表と協議し、新憲法について国民投票を行なうことで合意。
11 べ平連、「ベトナムの日委員会」へ激励電。
12 べ平連世話人会。20団体31名が参加し、23日のデモの相談。私学会館。●米軍、北爆にB-52の継続的使用を開始。
13 米非暴力行動委貝会のA・J・マスティ師、バーバラ・デミング女史ら来日。●解放戦線、タンソニェット空港を攻撃。飛行機67機破壊、燃料2千万リットル炎上、兵員300人以上死亡。
20 べ平連、『ワシントン・ポスト』紙への反戦広告募金をよびかける。●マクナマラ米国防長官、ベトナムの米軍兵力は24万5千、海上兵力は5万と発表。
23 べ平連第8回定例デモ、清水谷→六本木。A・J・マスティ師らも参加。デモ後、参加者70名で討論集会。
(写真は清水谷公園で。右から鶴見良行、A・J・マスティ、小田実、バーバラ・デミング氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を押してください。)24 米・南べトナム政府軍、南ベトナムのタイニン省で「バーミンガム」掃討作戦、コンツム省でも掃討作戦。
26 米国務省、「ベトナム戦争に、“聖域”なし」と言明。
28 ベ平連と社会党との懇談会。●防衛庁、防衛駐在官のサイゴン常駐と5月派遣を決定。
1966年5月
2 キ南ベトナム首相、選挙法起草委員会常置令に署名(仏教徒、学生のデモ、再び激化)。
3 英国政府、南べトナムに派兵せずと言明。
4 タイ政府、南ベトナムヘの沿岸警備隊・輸送機・将兵の提供を決定。
6 ウォルト・ロストウ米大統領補佐官、北ベトナムの石油施設爆撃を大統領に勧告(5月下旬、大統領が承認)。
7 日本の農学者1,359人による米軍の農薬軍事使用反対声明発表。
14 アメリカで学部・大学院生徴兵のための全米学力試験実施。
15 キ南ベトナム首相、反政府の軍人・仏教徒が支配していたダナンヘ政府軍を空輸し、第1軍団司令部を占領(16日、統一仏教会、キ首相の即時退陣を要求。サイゴンの労働者5万、反政府スト)。
16 中国文化大革命始まる。
21 小田実帰国報告会。雑誌会館。
23 ダナン現地軍、中央政府軍と8日間の市街戦ののちに投降。
25 椎名外相、参院外務委で「ベトナム作戦の米軍への施設供与は義務」と答弁。
26 南ベトナムの仏教系学生、フエの米海外情報局図書館と文化センターに放火。
28 べ平連第9回定例デモ。清水谷→御茶ノ水、92名。松本市で1人べ平連(飯沼瑛)のデモ。市役所前→千歳橋。
29 サイゴンで仏教徒中心の反米デモ。2万人参加。
30 米原子力潜水艦「スヌーク」号、横須賀に初入港。
31 椎名外相、衆院外務委で、べトナム作戦上の米軍には日本は施設供与の義務ありと答弁。●南べトナム軍部と仏教徒指導者、政治危機打開のための交渉を開始。仏教系学生、フエの米領事館と宿舎に放火。
1966年6月
1 米ハワード・ジン、ラルフ・フェザーストン、講演旅行に来日。●横須賀で米原子力潜水艦寄港阻止のデモ。4万人。
2 H・ジン、R・フェザーストンらの全国講演旅行開始。札幌で2回(300名、800名)。以後3日仙台(1,500名)、4日東京(1,100名)、6日東京(1,100名)、7日名古屋(300名)、8日京都(1,100名)、9日大阪3回計3,000名)、10日広島(300名)、10日福岡(600名)。
(写真は右からハワード・ジン、武藤一羊、鶴見良行氏、名古屋で。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を押してください。)3 米軍、南べトナムのコンツム省ダクト地区で「ナサン。ヘイル」掃討作戦(→20日まで)。
7 南ベトナム、フエで反政府ゼネスト。
11 マクナマラ米国防長官、米兵増派を発表(7月までに28万5千人)。
12 ジン、フェザーストン、沖縄訪問。講演は13日に2回(1,300名)。●在ベトナム米軍、26万7千人となる。●米軍、南ベトナムのツダウモト省ロクニン県で「エル・パソ」掃討作戦(→21日まで)。
13 小田実、世界平和評議会に出席のためジュネーブヘ出発。
14 米市民クリステンゼン、べトナム戦争に抗議し米国籍を放棄すると記者会見。学士会館。●べ平連講演会。日消ホール、1,000名。講師・桑原武夫、鶴見俊輔、日高六郎、小松左京、開高健、永六輔ほか。
15 ジン、フェザーストン離日。
18 南べトナム政府軍、フエを完全に制圧。●ジョンソン米大統領、北べトナムと解放戦線に侵略停止を要求、停止しなければ米国は「目的達成のために陸海空の軍事力を行使する」とのべ、戦争拡大を示唆。
21 南ベトナム政府軍、統一仏教会を占拠。
22 ジョンソン米大統領、ハノイとハイフォンの石油貯蔵施設爆撃を正式に許可。
25 べ平連第10回定例デモ。清水谷→新橋、90名。デモ後、討論集会。国労会館。
29 米機、ハノイ、ハイフォン地区を初爆撃。
30 ハノイなど爆撃に抗議して、鶴見俊輔、市井三郎、いいだもも、渡辺一衛、大野明男ら「反戦非暴力直接行動委員会」が2回にわたり米大使館前に坐りこみ、警官隊に排除される。1回目30名、2回目52名。 (B-01 p.22)→1966/07/01 ●ニューヨークでテキサス州フォートフッドの3兵士がベトナム行きを拒否して記者会見(米軍兵士の集団的反戦運動の始まり)。
1966年7月
1 「反戦非暴力行動」の41名、米大使館に3度目の坐りこみ。警官隊が排除。●ハノイ市民の大規模疎開始まる。
4 大阪空港で来日中のラスク国務長官へ抗議デモ。翌5日は京都でも。
5 横浜の米領事館前にハノイ、ハイフォン地区爆撃抗議で35名が坐りこみ。
7 フォートフッドの3兵士逮捕。支援運動が全米に拡がる(68年10月に釈放〕。●ガンジー・インド首相、英ソに和平会議開催を提案、米国に北爆停止を求める。
8 グエン・バン・チュー南べトナム元首、地上軍による北ベトナム侵攻と北爆強化を提唱。
9 米大使館にまた抗議行動。15名。
10 米国防総省、べトナムの米軍はこの年の暮までに37万5千、翌67年春には42万5千に増強されると発表。
12 ジョンソン米大統領、米国を「太平洋国家」と規定、対アジァ長期政策を発表。●米政府、北ベトナムの捕虜となった米飛行士が戦争犯罪人として裁かれるとの報道に憂慮を表明。
13 米海兵隊・南ベトナム政府軍、クワンチ省で「ヘスティング」掃討作戦(→8月−日まで)。
16 ウ・タント国連事務総長、捕虜の処遇に関する1949年ジュネーブ協定を守るよう北べトナムに要請。
17 ホー北ベトナム大統領、徹底抗戦を宣言(「10年、20年あるいはそれ以上でも戦う」)。
18 椎名外相、「日本はべトナム戦争に対し、中立的立場ではない」と言明。
20 社、共、総評など、ハノイ、ハイフォン爆撃抗議集会。東京で3万2千名。その他各地でデモ。
22 北ベトナム外務省覚書「北べトナムでの戦争拡大に際してのアメリカの犯罪行為」を発表。●赤十字国際委員会、米捕虜の釈放について北ベトナムと接触。
23 べ平連第11回定例デモ。清水谷→国会→日比谷、200名。●ホー北べトナム大統領、米CBS放送会長の電報に答え、米捕虜の裁判は「当面行なわない」と言明。
25 キ南ベトナム首相、中国介入の危険を冒しても北ベトナムに侵攻すべしと言明。
30 B-52、北ベトナムの非武装地帯内外の北ベトナム軍への爆撃を開始。
31 長野で「ベトナム戦争ティーチイン」県勤労者福祉センター。講師・鶴見俊輔、山田宗睦、中山英一、北小路敏ほか。主催は、長野市社会問題研究会、長野市部落問題研究会、長野山脈の会などによる実行委。
1966年8月
1 北べトナム水利省、7月1日〜31日の間に米機が堤防・水門など水利施設を84回も爆撃し、増水期をねらっていることに抗議。
3 南ベトナムのクワンチ省で米海兵隊による「プレイスリー」作戦開始(→翌67年1月末まで)。●タイ政府、ベトナム戦争終結のための全アジア諸国会議を提唱(大半の国が賛成。18日、北ベトナムはこの会議を「茶番劇」と非難)。
10 サイゴン南東64キロ地点でオーストラリア軍による「トレド」作戦開始(→9月8日まで)。
11 べ平連主催「ベトナムに平和を!日米市民会議」(14日まで)東京、サンケイ会館で開催。日本側61名、アメリカ9名、外国オブザーパー15名、ほか傍聴多数。
14 市民会議大衆集会。サンケイ大ホール、1,600名、「日米反戦布民条約」調印、以後、条約への署名運動はじまる。●大阪でベトナムに平和をねがう大阪府民の会主催「終戦21周年ベトナムに平和をねがう夕」18:00 中之島・中央公会堂。終了後、平和行進。●ロイター電、南べトナムで米軍が使用のナパーム弾の90%、その他大部分の軍装備品は日本で生産されていると報道。
15 小田実、ハワード・ジンら、愛知官房長官に首相あて「ベトナム平和要望書」を提出。●「反戦非暴力行動」、日米市民会議への米参加者とともに約80名で丸ノ内ブレスクラブ前でライシャワー米大使に抗議ピケ。●夜「8・15記念国民集会」九段会館、1,500名。デモ、九段下→東京駅。
16 大阪でベトナム戦争反対関西連絡会議など主催「8・15記念・ベトナム反戦日米連帯会議」18:00〜 中之島公会堂 D.デリンジャーら各国参加者と、鶴見俊輔、小田実、吉川勇一ら発言。14:00からは梅田・大一ホテルで日米代表T0の交歓パーティ●南べトナム統一仏教会、制憲議会選挙をボイコットすると声明。
18 北京で文化大革命勝利祝賀の100万人集会。
21 『ニューヨーク・タイムズ』紙社説、「毎週ベトナムに投下される爆弾量は第2次大戦中最高時にドイツに落とされた量より多い」として無差別爆撃の再検討を要望。
23 南ベトナムのクワンガイ省ビンソン地区で、韓国軍による掃討作戦。
25 ベトナムの米軍兵力、30万人をこえる。
27 べ平連第12回定例デモ。清水谷→御茶ノ水、225名。
29 米国防分析研究所、北爆は直接的効果をなんら及ぼしていないと報告。◎本田技研、50t級オートバイ2万4千台を南べトナム政府軍用として323万ドルで販売(民需用としても大量輸出、「ホンダ」は日本人の代名詞となる)。
1966年9月
1 ドゴール仏大統領、プノンペンで米軍の南べトナム撤退・インドシナの中立化を要求。
5 ジョンソン米大統領、共産側が撤退の時期を示せば米側も時間表を提示すると言明。北ベトナムは拒否。
11 南ベトナムで制憲護会選挙実施(投票率81%、ジョンソン大統領、高投票率を米政策への支持と解釈)。
12 10・1デモについてのべ平連懇談会。雑誌会館。
16 フィリピン軍、南べトナム到着。
17 ヤング・べ平連研究会「国家と個人」講師・鶴見良行。赤城青年館。●東大理学系大学院生により「東大べトナム反戦会議」結成される。若手研究者30名参加。●北朝鮮漁船「平新艇」の4乗組員、船長ら7人を射殺し、下関に入港(亡命)。
18 「ベトナム反戦大阪行動委員会」(略称「大行動」)発足。以後毎月第3土曜日に定例デモ。
20 ハノイ北東654キロで米機と北ベトナムのミグ機が空中戦。
28 来日中の米シンシナティ交響楽団演奏会(日比谷公会堂)に同楽団のオーボエ奏者フェイダー馘首(反戦運動参加を理由として)に抗議するプラカード・デモ、ピケ。20名。●米軍、メコン・デルタに出撃。
◎この月、定例デモを第4土曜日から第1土曜日に変更のため、定例デモなし。
◎この月、沖縄べ平連発足。
◎米・南ベトナム以外の韓国など同盟国側の戦死者累計357人。
◎この月、小田実編『ベトナムのアメリカ人』(合同出版社)、岡村昭彦『続南べトナム戦争従軍記』(岩波新書)刊行。また『文芸』10月号が「ベトナムに平和を!日米市民会議議事録」を掲載。
1966年10月
1 べ平連第13会定例デモ。清水谷→総評本部、350名。10・21反戦スト激励のため、デモ後、総評会館を訪問、激励文を渡す。
3 ベトナムの米軍、32万8千人となり、朝鮮戦争の最高時を上回る。●ソ連、北ベトナムヘの経済軍事援助新協定調印を発表。
4 米国防総省、核攻撃可能の曲射砲を南べトナムに配備と言明。
7 フジテレビ、べ平連の青年をテーマにしたドキュメンタリー劇場『ある青春の模索』(岩佐寿弥監督)を暗すぎるとして放映中止。●学術会議有志70人、米の無差別爆撃・毒物使用に抗議の声明。●米統合参謀本部、陸海空。海兵隊の予備役68万8,500人の動員を要請。
8 「名古屋ベトナム問題懇談会」(名古屋べ平連)第1回懇談会。
10 「ベトナムに平和を!茅ヶ崎市民の会」(茅ヶ崎べ平連)総会。中海岸公民館。●ベトナム反戦直接行動委員会、「この危局に際しても、なお選挙運動に集中しているすべての政党政派と絶縁する」とし、行動によるコミュニケーションの創造を訴える声明発表。⇒19日。
11 ベト数懇主催の数学者ベトナム反戦集会。東大。講師・弥永昌吉、小田実。集会後、デモ→西神田公園、150名。
12 べ平連、オットー・ネイサンとの懇談会。国際文化会館。
13 ソ連、中国がベトナム支援を妨害していると非難。●末川博、海野晋吉らのよびかけで「べトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会」設立。●ジョンソン米大統領、北ベトナムが南べトナムでの軍事行動を縮小しなければ北爆は停止しないと声明。
14 「詩のべ平連」、ベトナム反戦詩集第2集『黒いバラ』発行。
15 べ平連討論集会「ベトナム戦争と反戦の原理−J・P・サルトルとともに」読売ホール、1,000名。集会後、東京駅までデモ。●ベトナム反戦直接行動委員会主催の反戦集会、南部労政会館。
16 べ平連第1回全国懇談会。法政大学、71名。べ平連の名称を「べトナムに平和を!市民連合」と変更。
17 東大ベトナム反戦会議、束京駅で反戦ピケ(21日までつづける)。●ジョンソン米大統領、南ベトナムを含むアジア・太平洋7ヵ国訪問に出発。
19 田無の日特金属工業にアナーキスト系の「ベトナム反戦直接行動委員会」のメンパーが乱入●名古屋で「ベトナムの平和を考える市民のつどい」(世話人会=新村猛、北川民次ほか)18:00 県理容会館。講師=日高六郎ほか。
20 「10・21反戦スト支援国民集会」九段会館、1,200名。後、デモ。九段下→東京駅。
21 総評など、ベトナム反戦スト(労組連合体として世界最初。翌年からこの日が「国際反戦デー」となる)。
22 <ヴェトナムに平和を>茅ヶ崎市民の会(のちの茅ヶ崎べ平連)「べトナム反戦講演会」農業会館ホール。講師・小田実、城山三郎、吉川勇一。●ヤング・べ平連研究会「サルトルの文学」、講師・いいだもも。●南ベトナム仏教会、穏健派と急進派に分裂。
24 マニラで参戦7ヵ国会議(25日まで)。
25 「ベト数懇」、数学者の国際反戦署名について記者会見で発表。●札幌市中島公園で市民有志による『ワシントン・ポスト』(W・P)紙反戦広告のための街頭募金。●米駆逐艦、北ベトナムを初艦砲射撃。
27 W・P紙への広告募金、73万円をこえる。
30 マレーシア政府、南べトナムに派兵せずと言明。
1966年11月
1 解放戦線、サイゴンを初砲撃。
4 米統合参謀本部、67年末までに米軍を49万3,969人に増強することを勧告。
5 べ平連第14回定例デモ。清水谷→市ヶ谷→九段上→神保町→御茶ノ水、130名。デモの後、17:00 お茶の水の雑誌会館会議室で参加者懇談会。●マクナマラ米国防長官、大統領との協議ののち北ベトナムの軍事的勝利はもはやあり得ないとのべ、米軍増強は続くが水準は下がると言明。
9 京都府立大べ平連講演会。講師・鶴見俊輔。
11 ジョンソン米大統領、米軍増強に関する決定を統合参謀本部に伝える(68年6月30日までに46万9千人とする。大統領がウェストモーランド司令官の要請に初めて「ノー」と答えた)。
13 ロンドンで「国際戦争犯罪法廷」(ラッセル法廷)設立。日本から森川金壽弁護士が参加。
15 ホワイトハウス、北爆目標の拡大を承認。
16 長野の「ベトナム戦争の終日研究会」、『信濃毎日新聞』に反戦広告を掲載。●札幌べ平連発足(パーラー石田屋で第−回会合、13名)。
19 ヤング・べ平連研究会「革命について」講師・武藤一羊。
22 べ平連、チク・ナット・ハーン師との懇談会。国際文化会館。
24 アジア開発銀行創立総会(26日まで一。●ラオスのコン・レ将軍失脚。
25 解放戦線、クリスマス・旧正月の48時間停戦を提案。
26 『札幌べ平連ニュース』創刊。
27 べ平連、ワールド・フレンドシップ・センター、広島YMCA主催「みんなで平和を!−−ヒロシマからベトナムヘ」集会、。中国新聞社ホール。講師・小田実、尻石友也、パーバラ・レイノルズ。
30 広島大学わだつみ会主催「不戦のつどい」15:00 広大会館 講師=岡村昭彦
◎この月、吉原・平和を守る会(富士市)、三重大べ平連、「九研」グループ(川崎市)が発足。
1966年12月
1 べ平連よびかけの「抗議の10日間」はじまる。
2 米機、ハノイ近郊の輸送施設、倉庫などを爆撃。
3 べ平連第15回定例デモ。清水谷→新橋、184名。後、数寄屋橋でW・P紙反戦広告募金。
4 名古屋べ平連講演会。栄町教育会館、100名、講師・鶴見良行、武藤一羊。
5 日音協主催、べ平連後援「反戦・抵抗の歌のタ」日比谷公会堂、600名。
6 記録映画『ベトナム――平和へのたたかい』(山田典吾監督)完成、試写会。社会文化会館。
8 べ平連早朝集会。朝6時半、清水谷公園、30名。●京都べ平連、反戦青年委、原水禁など26団体共催「京都反戦集会」円山公園音楽堂、2,500名、のちデモ。→市役所前。●札幌ベトナムに平和を市民連合主催「べトナムに平和を!札幌市民集会」札幌市民会館、80名。講師・いいだもも、吉原公一郎。●解放戦線、ハノイ常駐代表部の設置を発表。
9 「ベトナムに平和を!旭川市民集会」旭川公会堂、150名。講師・札幌と同じ。
10 世界平和評議会、国際軍縮平和連合などのよびかけた「ベトナム反戦国際抗議デー」。●べ平連、横須賀基地前で米兵に英文の反戦リーフレットを配布。東京からバスで26名参加。●福岡反戦集会「ベトナム反戦運動とは何か」九大工学部、400名。講師・小田実、武藤一羊。
11 北九州「講演と討議による反戦集会」小倉労働会館。講師・福岡と同じ。
12 同志社大でチク・ナット・ハーン師を囲む会。40名。
13 米機、ハノイ地域の軍事目標を大規模爆撃(14日まで)。16日、中国は中国大使館も爆撃されたと非難。
15 戦犯調査日本委第1次調査団(滋賀秀俊団長)、北べトナム訪問(→67年1月20日まで)。
19 べ平連の穴井典彦、南ベトナムヘ出発。●南ベトナム派遣米軍37万2千名となる。
22 米軍の戦死者、6,407人になる。
23 日本のベトナム戦犯調査団、ハノイ到着。
25 『ニューヨーク・タイムズ』のハリソン・ソールズベリ記者、北ベトナムに入る。北爆による民間人の死傷者多数と報道(米軍当局者は誤爆によるものと弁明)。
27 第54国会召集、冒頭解散(黒い霧解散)。
31 ウ・タント国連事務総長、北爆の無条件停止によって米国が和平への第一歩を踏み出すように要請。
◎この月、米国で「学生動員委員会」結成(単一では米最大の反戦運動体となる)。
◎米軍兵力は38万9千に。米軍の死傷者累計はそれぞれ、6,644、3万7千738人に。南べトナム軍は戦死4万2千730、負傷13万830。米軍推計の解放戦線戦死者は16万5,424、負傷者47万4,424。北爆米機の損失累計は489機(北ベトナム発表では1,600機)。国防総省報告――北爆開始以来の出撃延べ機数は14万8千機、爆弾総量は12万8千トン。飛行機の損失は65年の171から66は318と増加、直接の作戦経費も4億6千万ドルから12億ドルヘと増加。「66年の北爆は前年以上の効果をほとんどあげなかった」。61年から66年までの南ベトナム民間人死者推計は41万5千人(うち子どもが少なくとも25万人)。この年の民間人の死者推計10万(うち子どもが7万)。
◎この年、日本のベトナム直接特需は4億8千800万ドル(前年の37%増)。日本の南べトナム輸出は1億3千800万ドル(前年の3.8倍)となる。