非暴力と反戦を貫く

魂をゆさぶる生き方

――――評者・栗原 彬 (『朝日新聞』1998年2月8日号)

  自伝はうそをつくという。しかし人生もうそをつくのだ。書き始めることで、自分が隠し、うそをついてきたことに気がつく。何事も隠すまいと努めること。そのときの感情を経験し直すこと。真の自己を殺すレッテルを引きはがすこと。「私は私でありたい」。そのために私は書く。これがアメリカの非暴力反戦運動家デリンジャーが伝記を書く精神の姿勢である。

  第二次世界大戦に際して、デリンジャーは、アメリカの軍産複合体の野望のための参戦に反対して、兵役を拒否して入獄した。南部諸州での自由のための行進に参加し、ベトナム戦争に際して非暴力抵抗運動を組織したが、そのつど投獄された。一九六八年の「シカゴ事件」を受けた「シカゴの八人」裁判では、人民が裁かれる場を政府を裁く場に転換させてしまった。

  デリンジャーは、非暴力を経験の中でたえず練り上げていく伝記のようなものと考えている。第二次大戦時の徴兵拒否でルイスバーグ刑務所にいたとき、囚人の人権のためにハンストを共に闘った青年ビルが屈強な囚人たちにファックを迫られてデリンジャーに助けを求めた。翌日、四人の囚人たちがやってきた。彼は闘う羽目になったら、まず一番強そうなやつをたたきのめすことを考えていた。ともかく会話に引きこみ、ハンストのこと、家族のことなど、行き当たりばったりの話をしているうちに共通の経験と感情の基盤に触れたのを感じた。ついに彼は言う。そんなことをやめさせるために全力をつくすぞ。いざとなったら、相手が誰(だれ)だろうと、ビルに突っこむには、まず私にナイフを突き刺してからでなきゃならない。四人は立ち去つた。独房に戻ったとき、デリンジャーは恐怖に震え、むせび泣いた。彼は「今、泣きながらこれを書いている」と書きつける。敵対者や抑圧者の中にも同じ人間を見取って、それに共振し、それを解放すること。そこに非暴力の核心がある。

  これは、行動しつつ、書きつつ成長する知性による、魂をゆり動かす記録。私は私になりたい、と願う一人の生き方が「もう一つのアメリカ」の成長に重なる。この伝記は、世界が呼吸している場に人が生き生きと参加する手がかりと励ましを与えてくれる。

(立大教授)

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