小谷勝彦『兵役拒否宣言――全体主義から個人主義へ』日本図書刊行会、1997年 (2009/05/10掲載)
以下は、同書 第2章 ベトナム戦争と兵役拒否のうち、25ページから31ページまでの引用
(3) 日 本
日本では「ベトナムに平和を! 市民連合」(通称、べ平連)が誕生しました。新知識人(小田実、開高健)と旧知識人(久野収、鶴見俊輔)が中心になった運動です。共産党にも社会党にも支配されていない市民運動の元祖とも言われています。
べ平連に参加したのは、「マジメ市民」(声なき声の会など)と「政治集団」(共産党系社会党系新左翼系の人たち)と「インチキ市民」(映画業界など華やかな人たち)が、「ベトナムに平和を!」ということで集まりました。
一九七一年生まれの私にとって、べ平連は神話ですが、鈴木邦男氏が「一水会はべ平連をめざす」ということで、「そうじゃなくてべ平連とか、もっと昔の全共闘運動の頃みたいなね、女の子がいるからついついついてデモにいっただけみたいなね、ああいう自由な組織というか、ずぼらな組織が必要だと思うんですね。」と書いてあるのを読んで、かえってべ平連というのはすごかったんだなと思いました。
一九六七年に、米空母イントレピット号の四名の兵士が脱走したいとべ平連に連絡をとってきたのがきっかけとなって、「イントレピット四人の会」(主に宣伝担当)と「ジャテックス」(脱走兵援助日本技術委員会)が設立され、主に反戦兵士や脱走兵の援助を行いました。
鶴見俊輔氏は、「戦後五十年の間に鶴見さんがされた、これだという大きなこと」という質問に、「べ平連から付随して出て来た米軍の脱走兵援助ですね。」と答えています。鶴見氏は国家から人殺しを要求された時に、その国家のやっている戦争が間違っていると考えたら、そこから逃げる、私はそうしたかった。現に今、脱走した人間がいるのだから、それを助けようと思った、と語っています。実際に日本人脱走兵を自宅に泊めたこともあり、「ライシャワーの部下が、もし私の家に踏み込んだら私は彼らの足ぐらいはつかんで抵抗しようと思っていたんです。」(ライシャワー駐日大使は、鶴見俊輔氏の留学時代の先生だった)と述べています。
小田実氏は「私に金網でなく軍隊が見えて来たのは、“イントレピットの四人≠ェやって来て、脱走兵援助の活動を始めてからのことだった。やって来たのは金網でなく、アンダーソンにしろ、ベイリーにしろ、バリラにしろ、リンドナーにしろ、それぞれに名前と顔をもった兵士だった。」と書いています。脱走兵援助までの運動は、基地の金網に向かっての抗議活動が中心でした。
また、小田氏は別の本に「この時、私はその軍隊が非常に民主的な軍隊であり、自由な軍隊であることに正直言ってびっくりした。」とアメリカ軍のことを論じています。
ベトナム戦争には脱走兵として日本人が存在していました。この青年はアメリカで「査証」の延長のため徴兵検査を受けたところ、本当に徴兵されてベトナムへ送られました。このような日本人が他にも存在していたそうです。彼は帰休で日本に来て、べ平連に連絡を取りました。日本に残る(ベトナムに戻らない)ことを決意したのです。
日本の側には「日本国憲法を売った者を日本国憲法で保護する必要はない」という批判もありました。私は心の狭い意見だと思います。
この件はアメリカ大使館のスポークスマンが「米国政府および在日米国大使館は慎重に検討した結果、清水君の逮捕を日本当局に要求しないことに決定した」と発表して解決しました。
一九七四年、パリ平和条約が締結され、べ平連は惜しまれながら解散しました。その後、東南アジアではベトナムは共産党が政権を取り難民続出、カンボジアではポルポト派による大虐殺と難民続出、ベトナムのカンボジア侵略、中国のベトナム侵略と、ものすごいことが相次ぎました。
ベ平連が一九七四年に解散していなかったら、今日の神話・伝説はなかったと私は思います。強運の持ち主がいたのかも知れません。彼らは唯一に脱走兵を受け入れていたスウェーデンへ脱走兵を二十名送り込むことに成功しました。
一九九四年に、脱走兵の一人で在スウェーデンのテリー・ホイットモア氏が来日して、東京や京都で同窓会が開かれました。
一九九五年に、テレビ番組においてべ平連と脱走兵が特集されていました。スパイが送り込まれて北海道で捕まった元米兵がVTRで登場していました。普通のおじさんです。
(4) 韓 国
吉岡忍は、べ平連のJATEC(脱走兵支援日本技術委員会)の中心を担ったひとりです。彼は『脱走兵のアメリカ』の中で、「脱走兵援助という活動は、その信頼感がいっきに崩れていく過程でもあった。(後略)」と書いています。彼の「その信頼感」とは、子供の頃から教わってきた民主主義のアメリカ、お手本のアメリカというような信頼感をさします。彼が最初に出会った脱走兵が、韓国系アメリカ人のキム・ジンスーでした。
――金芝河さんのことのまえに二人の朝鮮人が視野に入って来ていた。二人はともにベトナム戦争を拒否した脱走兵だった。ひとりはアメリカ合州国軍からの脱走兵のキム・ジンスー(片カナで彼の名前を書くのは、彼が漢字を書けなかったからだ)。もうひとりは韓国軍脱走兵の金東希。二人の「キム」が立ちあらわれ、私が彼らを助ける行為に加わったことで、朝鮮のことはそれまでのありようとはちがったかたちで私の世界に入って来た。そして、金芝河さんが来た。 (『難死の思想』より)
キム・ジンスーは、朝鮮戦争で孤児となり、カリフォルニアの白人家庭の養子となり、成長してベトナム戦争で戦場へ送られました。金東希は、日本の北朝鮮の施設へ亡命を求めて脱走しましたが、進展がなかったので、べ平連に連絡を取りました。彼は北朝鮮へ亡命しました。彼の消息について気になったので、吉川勇一氏に問い合わせたのですが、「金東希氏のその後の動向については残念ながら不明です」ということでした。小田実氏が訪朝した際、故金日成氏に金東希氏の情報を求めたところ「一切わからない」という回答だったのです。
私はこの件に関して、べ平連関係の人たちが「不明」で済ましているのが不思議です。事実、金東希のことは、べ平連の「武勇伝」 にはあまり出てきません。それはともかく、韓国は東南アジアで共産主義政権が誕生すると、その影響が朝鮮半島にも及ぶということで、大軍を派兵しました。その結果が、韓国のベトナム特需となり、金東希のような韓国人脱走兵の出現となったのです。
(5)総論(吉川勇一氏の批判の紹介)
第一次世界大戦後、「民族自決」を世界にひろめたのはアメリカのウィルソン大統領でした。ベトナムはその独立宣言(一九四五年)でアメリカの独立宣言を引用しています。
アメリカ合州国も、ハワイを侵略した歴史を持っていますが、アメリカとベトナムが戦争する理由はありませんでした。しかし、日本の敗戦にもかかわらず、大軍を送ってベトナムの独立をフランスが認めなかったばかりに、共産主義の中華人民共和国が成立して、ベトナムを全面的に支援したことから、ベトナム戦争の性質が変わりました。はじめは植民地独立戦争だったのが、民主主義と非民主主義(共産主義)のいわゆる「冷戦」へとなってしまいました。
私は罪の大きさから言えば、フランスと中国が一番だと考えます。次に非民主主義を選択したベトナムの人たちも罪はあります。そして、民主主義の警官のつもりのアメリカ合州国、そのアメリカ合州国を批判できない日本にも問題があったと考えます。だから、私はベトナム側が正義であったというような主張には、納得できません。例えば、仏教勢力が独立の主役になっていたら、展開はまったく異なっていたのではないでしょうか。
私はこの「ベトナム戦争と兵役拒否」の文章を、べ平連の事務局長であった吉川勇一氏へ送ったところ、ハガキをいただきました。吉川勇一氏は、(3)日本の項の「強運の持ち主がいたのかも知れません。」という記述について、「七四年におけるべ平連の解散は偶然の事実ではありません。運″の問題ではなく、必然の結果でした。」という批判を書かれています。
私としては「偶然か必然か」ではなく、「あの時、べ平連が解散していなければ、今日の神話はなかった。」ということを述べたかったのです。私は「偶然か必然か」を判断するだけの資料を持っていませんので、吉川勇一氏の異論を紹介するにとどめます。
私はアメリカ合州国に「殺すな」と言うのであれば、ベトナムに対しても「殺すな」と言うべきであったと考えます。べ平連関係者の方々の文献を読んでいると、アメリカ合州国に「殺すな」と言ったのはいいとして、ベトナム側に「殺すな」と言ったのかは曖昧です。現在の平和運動・市民運動の中でも、べ平連に関する美化された伝説が流布していますが、べ平連のマイナス面について克服していかないと、同じ失敗を繰り返すのではないでしょうか。
〈参考文献〉
『ベトナム民族小史』松本信広(岩波書店)/『ヴェトナム「豊かさL への夜明け』坪井善明(岩波書店)/『市民運動の宿題』吉川勇一(思想の科学社)/『東南アジア』河部利夫(河出書房新社)/『ロング・タイム・パッシング――ベトナムを超えて生きる人々』 マイラ・マクファーソン著松尾式之訳(地湧社)/『戦争を生きぬいた女たち 38人の真実の記録』サリー・ヘイトンニキーヴァ編著 加地永都子ほか訳(新宿書房)/『帰ってきた脱走兵』鶴見俊輔・吉岡忍・吉川勇一(思想の科学社)/『「べ平連」回顧録でない回顧』小田実(現代書館)/『毎日新聞一九九五年八月十六日』「戦後を語る」(中)/『ベトナム戦争と日本』吉沢南(岩波書店)/『ベトナム戦争』亀山旭(岩波書店)/『世紀末世界をどう生きるか』鈴木邦男(河合文化教育研究所)/『「難死」の思想』小田実(岩波書店)/『思想の科学一九九六年四月aD39』「脱走兵のアメリカ」吉岡忍