72 昭和50年代の私 (吉田) (送信日時: 2003年 10月 21日(火曜) 00:02:38) (2003.10.21掲載)
はじめまして、といいましょうか、でもきっと50年代(タイトルに「昭和50年代」とありますから、1975〜1984年のことなのでしょう――管理者注)にお会いしていると思います。私はそのころ日本山妙法寺の澁谷道場にて修行しながら立正大学に通っておりました。そして浅草の浅草寺でベトナム支援の募金活動や明年のアメリカ行き《軍縮と社会正義のための米国大陸横断平和行進参加》の為の準備活動をしておりました。そして51年1月(これも、1976年のことか?――管理者注)に渡米、サンフランシスコから参加しました。そして日中は行進、夜は現地の人々の集会に参加というハードな日程をこなしていました。
行進の中で起こった大変なエピソードを紹介しましょう。はじめ、とうし行進者(「通し行進者」? 全行程を通して歩く人のことか――管理者注)は、我々日本の僧侶と主催者の団体からの派遣された人々と一部の人々でした。しかし、行進が進むにつれて、とうし行進に参加する人々がふえてきて、行進の費用がかさんできたのです。
そこで行進本部がとった行為は、なんと行進者の粛清でした。その方法は参加者全員に、この行進に参加するのにふさわしくない者を無記名で投票させるという方法でした。投票数の多い者から排除されました。もっと歩きたいと、泣きながら、じだんだをふんで抗議する者、だまって立ち去る者、それでも離れて後からついて来る者。昨日まであんなに仲良く行進していたのに、誰ももっとカンパをふやして皆で行進しようと提案する者もいなかった、ようするに組織にたてつく者もいなかったのだ。 (吉田)
(管理者から メール投稿文の句読点などを一部修正し、(管理者注)を適宜加えたたほかは、原文のままです。 吉田さんへ。この《軍縮と社会正義のための米国大陸横断平和行進》については、すこし聞い聞いたことがありましたが、主催者、「行進本部」(アメリカ側?)や、日本の担当者、担当団体などのことをよく知りません。もう少し、この行動の全体についてお知らせいただけないでしょうか。)