62 「高松ベ平連」はありました ( T.T.) (2003.05.02掲載)
井上さんのおっしゃるように、確かに「高松ベ平連」なるものがありました(「井上さんの……」というのは、本「談話室」の39参照)。「稲のおばちゃん」が言ってるように、おばちゃんの家を「基地」にして、反戦活動……と言えるかどうか分かりませんが、活動していました。
何人か「稲さん宅の2階で寝泊まりしていた……」のも事実ですし、多分、かくいう私が一番寝泊まりしていたと思います。また、厚かましくも食事の世話にも一番なっていたと思います。半分以上「家族」みたいにしてましたから……。当時高校生でしたが、家が田舎(山の中)でデモや、ステ貼り(当然警察の目を盗んでの行動なので夜中、というか、丑三つ時を過ぎた頃)などをしていると、家に帰れないので、しょっちゅう泊めてもらっていました。
実を言うと、私は8年ほど前から東京に住んでいて(と言っても、月2回ほど高松と行き来してますが……単身赴任ってやつです)半年くらい前に、稲のおばちゃんから電話で「高松ベ平連のことを調べている人がいて、話を聞きたいと言っているので連絡してあげて欲しい。HPもあるから参考にして……」との話を聞いていました。連絡先は「吉川勇一さん」とのことでしたが、当時高校生だった私も、今は50歳台になった「オジサン」なもので、記憶もあやふやになっていて、「ん? それは誰だぁ〜〜???」と、すぐには分かりませんでしたが、ふと思い出しました。「そうだ、組織でないはずのベ平連だったけど、代表=小田実さんと、事務局長=吉川勇一さんだった」
それで、稲のおばちゃんからの連絡でもあったし、すぐにでも連絡しなくっちゃぁ、と思いながら、ここ数年間ちょっと体調が悪いこともあって、延ばし延ばしにしてしまいました。ごめんなさい……。
稲のおばちゃんが、なぜ私に連絡してきたかというと、当時高松で活動していて、たぶん今生きている人の中では私が一番当時の事情に詳しいと思ったからだと思います。あと、井上さんが書かれている「フォークの女王と自称する女性(K.Oさん)」も当時の生き残りの一人ですが……。新宿のフォークゲリラではありませんが、高松でも瓦町という私鉄(琴電)のターミナル駅前の噴水広場で、毎週土曜日にフォーク集会をやっていました。そこでの「女王」と言うところですね。活動資金づくりにガリ版刷りの歌集を販売したり、反戦を訴えるビラをまいたりしながらのフォーク集会でした。この方の連れ合いだった方は、10年以上前に志半ばにして残念ながら病死されました。高松では、ベ平連の当時もその後の部落解放運動や、在日朝鮮人問題の勉強会や交流、障害者問題、反原発運動その他もろもろの市民運動の「事務局長」的な活動をされた方でしたが……。
なんだかまとまりのないものになってしまいましたが、最後に当時の香川県でのベ平連というか、市民運動的なものが、高松以外にもあったことを書き添えておきます。私の記憶の範囲では、大川郡大内町三本松(当時)と言うところにも、三本松ベ平連がありました。瓦町のフォーク集会に合流していました。また少し時間的なずれがあるかも分かりませんが、観音寺市にもあったような記憶があります。
(T.T. 送信日時: 2003年 5月 1日(月曜) 17:48:28)