52 レポート「ベトナム反戦とイラク反戦の比較」お送りします。(大野慎一・中学生)(2003.02.24掲載)
先日はお忙しい中ご協力いただきありがとうございました。
アドレスの変更が終わり、レポートが完成致しましたので添付させていただきました。完成したといっても、まだまだ書くべきこと、調べなくてはならないことが沢山あります。そして何より、この問題は今も動いているものであるため日々新たな出来事が起こっています。これからもこの問題を深く追っていきたいと思います。
今後もよろしくお願い致します。 大野慎一(中学生) 送信日時= 2003年 2月
21日(水曜) 23:00:43
レポート「ベトナム反戦とイラク反戦の比較」 (タイトルは「談話室」担当者がつけました。) 大 野 慎 一 1.はじめに 2003年1月29日付の朝日新聞朝刊にアメリカの対イラク攻撃に日本が加担することに反対する人々の署名が記載されていた。私は二学期にベトナム戦争が社会に与えた影響について調べたのだが、今まさにそういった戦争が起ころうとしている。また、驚くべきことに我が国までもその戦争に加担する可能性がでてきているという。北朝鮮の問題など今我が国は数多くの問題を抱えている。アメリカは、未だに軍事攻撃を行う方針を変えていない。我々の生活にも何か影響がでてくることも考えられる。早急に解決しなくてはならない問題である。 大国が軍事攻撃を行うという構図は過去に何回もあった。ベトナムもそうであった。まだ開始されていない軍事攻撃に対する反対と、ベトナムという土地で行われた大国アメリカの攻撃に対する反戦運動にはどのような共通点、相違点があるのか考えてみることにした。(ベトナム戦争は、アメリカの介入以前からの戦争だが、今回は介入してからのものとする。)
2.ベトナム戦争時の反戦運動 ベトナム戦争時、我が国では数多くの反戦運動グループが活動していた。その中でも大きく、また有名な団体がべ平連(1)であった。正確に言えばベ平連はひとつの団体ではなくいくつもの市民団体の集まりであり、また登録、認証などがなく、その団体がベ平連だと名乗ればベ平連になるというものであったため正確な数ははっきりしない。現在存在が確認されているだけで383団体がベ平連と名乗っていた。 当時、どのような反戦運動がなされていたのか、また現在の対イラク攻撃に対する反戦運動との共通点、相違点をそのときそこにいた方はどのように考えるのかを2月3日に《旧「ベ平連」運動の情報ページ》(2)内に談話室という形で設けられている、ベ平連運動についての意見、Q and Aなどを記載するコーナーへ電子メールで質問状を送ったところ、翌4日に、このページの編集・管理に当たられている吉川勇一氏に回答をいただくことができた。(3)「ベトナム戦争のときは、新聞に反戦の意見広告を出そうとすると、その準備や宣伝はほとんど郵便か、電話でのやりとりでする以外になく、実現するまでに数ヵ月間から半年もかかったのですが、今では、インターネット上のメールの連絡などで、半月ぐらいで何千という人びとの賛同が集まり、実現できるようになっています。」実際、私が見た意見広告は今年の1月2日のサイト(4)開設から一月もたたないうちに4592人もの賛同者を得て1月29日に意見広告を記載していた。通信技術の進歩により可能になったことである。 しかし、良くなったことばかりではないようだ。吉川氏はこうも述べている。「マイナスのように見える相違点もあります。労働組合の運動と学生の運動がほとんど存在しなくなっている点です。ベトナム戦争のとき、日本で強い運動を展開した日本労働組合総評議会は解散し、今、それに見合うような運動体はありません。(中略)また、ベトナム戦争のときは、日本でも、フランス、ドイツなどでも、学生運動が強力に存在し、激しい行動を展開し、それが世論の動向にも影響を与えました。今、若い人びとも運動に次第に参加するようになっているとはいえ、学生運動のような機動力を持った運動が存在していないということは、大きな相違の一つでしょう。」しかし、このプラス、マイナスは単純には比較できないという。「反戦運動の後期、学生運動や、それを支配しようとした「新左翼党派」の間で、次第に暴力的傾向が強まり、殺人まで含む衝突やリンチが行なわれました。これが世論を運動から離反させる大きな要因の一つとなりました。今では、運動の側の暴力は許さない、という空気が特に市民運動の側には強くあります。」と吉川氏は述べている。では現在対イラク攻撃に対する反戦運動として展開されていることにはどんなものがあるのか見ていこう。 ----------------------------------------------------------------------------------------- (1)「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の略称。下記ページ内の表記には「文化」が無いが、小田実著《「ベ平連」・回顧録でない回顧》内の表記によった。 (2)《旧「ベ平連」運動の情報ページ》http://www.jca.apc.org/beheiren/ (3)内容を変えない範囲で一部省略させていただいた。 (4)《イラク攻撃に反対する意見広告の会》http://www.ikenkoukoku.com/ 2月12日閲覧
3.イラク攻撃に対する反戦運動 先に述べた意見広告以外にも我が国にはいくつもの反戦運動がある。例えば、実際にバグダットに行き反戦運動を行うものや、「人間の盾」といって、米軍の攻撃目標となる施設に陣取り、攻撃を思いとどまらせようとする活動もある。新聞には「反戦の波地球を回る」とあった。(5)やはり、世界の民衆が反対していることなのである。ロンドンでは15日に15万人もの人々がプラカードや、横断幕を手にデモ行進をしたという。大国アメリカの攻撃を許さないという目的のもとで各国の人々が団結できるというのは良いことだと思う。ベトナム戦争時との違いについて吉川氏は、「イラクに対する戦争は、まだ始まっておりません。ベトナム反戦運動は、すでに始まっており、長期に続いてきた戦争の途中から、次第に広がり、強力になっていった運動ですが、イラクについては、まだ始まっておらず、事前にそれを阻止しようとしている運動であって、これは大きな相違点ですね。」「世界一の軍事力をもつアメリカのこのイラク攻撃を、反戦運動や世論の力でやめさせ、平和的方法で問題を解決するようにさせられるとしたら、それは世界史に前例のない大きな出来事となるはずです。」と述べていた。 このように世界の人々が反戦運動を行うようになったのは、報道機関によりアメリカがこんなことをしようとしている、それは避けるべきことだ、と広く伝えたからであろう。反戦運動と報道はどんなつながりがあるのだろうか。 ------------------------------------------------------------------------------------------ (5)《朝日新聞》2003年2月16日付朝刊
4.報道と反戦運動 ベトナム戦争時、報道はほとんど自由に行われたという。自由ということは安全の保障ももちろん無い。命を落とされる方もいたがそんな方々によってありのままの戦争の姿が世界に伝えられたのである。先の吉川氏のお答えの中にもあったがこういった報道を受けて、人々はベトナムに平和を戻すべく行動を起こしたのだ。しかしアメリカにとっては余計なことで、それによりアメリカは「失敗」し運動は目的を達成したのだ。これに関して吉川氏は、「アメリカ政府と軍部は、ベトナム戦争の経験から彼らなりに多くのことを学び、その後の湾岸戦争や現在の対イラク攻撃準備に適用し、ベトナムでの政治的・軍事的失敗を繰り返すまいとしています。しかし、それはマスコミ報道の管理や世論操作の方法、米軍兵士の死傷者を出さないようにする、などといった方法の話で、本当の意味でベトナム戦争の教訓を学んではいません。」と述べている。マスコミが真実を報道しなければ人々は行動を起こせないと思う。今何をすべきかを考える上で重要な位置にあるのがマスコミだろう。「僕にとって『立ち入れるような立ち入り禁止は立ち入り禁止じゃない』。」(6)報道に対する熱意の現れだろう。対イラク攻撃の緊張が高まる中、各国の動きを正確に報道してほしい。 (6)一ノ瀬泰造《地雷を踏んだらサヨウナラ》(講談社文庫、1985.3.15)121ページ 5.私たちに何ができるのか それでは、戦争回避のため今私たちにはどのような活動ができるのだろうか。 まず、意見広告の記載などに署名、寄付をすることがあげられる。この方法の利点は簡単といってはおかしいが、実際にデモや座り込みをするわけではないので手軽である。 もう一つ、デモなどに直接参加するという方法があげられる。ベトナム戦争時には「道行く人に『ふつうの市民として参加してください』と呼びかけた。」(7)というものもあった。 どちらも立派な反戦運動だが、結局戦争をくい止めるのは人の力である。金銭はその過程で必要になるものだと思う。先の意見広告に対する寄付は一口3000円であったから私たち中学生に出せない金額ではない。しかし、寄付はしてしまえばそれで終わりである。寄付に対して否定的な見方をするわけではないが、実際に運動に参加することとどちらが自分の中に印象が強く残るかといったら、人々と一緒に道を歩き、声を出して反戦を呼びかけた方がはるかに強い印象を残すことだろう。その活動に関する情報をどう集めるかといったら、新聞などの広告、インターネット上の呼びかけを探すといった方法があげられる。検索方法も便利になっているのでそう手間のかかることではないと思う。このレポートには間に合わなかったが、私にも参加できることがあると思うので、何かの運動に加わりたいと思う。 ----------------------------------------------------------------------------------------- (7)小田実《「ベ平連」・回顧録でない回顧》(第三書館、1995.1.1)31ページ
6.おわりに 2月中に攻撃が開始される可能性は未だに消えない。攻撃が開始されないことを信じているが、開始されたとしても、人々の運動の力でくい止められるだろう。その人々のなかに私も、また日本の多くの人々も入るべきだと思う。 アメリカとイラクのどちらが悪いのか、ということも大事なのかもしれない。現在アメリカに対する非難がなされており、私もそういった見方をしているが、こういった運動を起こす人々は非難よりも、どうにかして攻撃を避けたい、罪のない人々が倒れていくのを黙って見ているわけには行かない、という気持ちの方が先に働くのではないかと思う。 「顔の見える援助」という言葉があった。今必要なことは「顔の見える運動」つまり、人々が一人一人活動を起こし、この問題を解決しようという意志を明確に持つことではないだろうか。吉川氏に頂いたお答えの中に、「答えは『簡単でかまいません』と、あなたの質問にはありました。でも、こうしてお答えしてゆこうとすると、まだまだあげなければならないと思うことはいくらでもでてきます。あなたの質問も答えも、そう『簡単』とは思わないでください。」とあった。それだけこの問題は奥の深いものなのだ。私はまだ反戦運動自体に加わったことがない。この問題について調べるからには一度参加すべきだと思う。それだけではない。攻撃に加担するかもしれない国の国民として攻撃を未然に防ぐ努力をすべきだ。今後、反戦運動を体験し、そこにいた者としての報告をしたいと思う。 この問題をレポートの材料だけにとどめないためにも私は努力しなくてはいけないし、歴史の中の「共犯者」の国家にならないために我が国の政府にも理解と努力が求められる時期なのである。 |