3. ベトナムに派遣された韓国軍の「残虐行為」についての資料を知らせてください。

 べ兵連のメールで橘雅彦さんに吉川さんのメールを教えていただいた在日韓国人で、ベトナム戦争で韓 国軍が何をしたのかを調べている者です。

 梶山秀樹著書によりますと、当時の朴大統領の外貨稼ぎにベトナム戦争を利用した、とあり、それも米軍の傭兵という自虐的な方法で、と書かれています。韓国国内での外貨不足、そして折りからの貧困が朴大統領に傭兵、という方法を取らしめたのでしょうが、そこでの在ベトナム韓国軍の行為もまた自虐的なものだったようです。米兵の五分の一という給料に、借り物の銃と衣類。それらはブラウン協定で双方が合意決定して実行されたことですが、兵士の米軍になぶられる真意は私たちのり知るところではありません。

 そこで吉川さんにお尋ねしたいのですが、その時、韓国軍はベトナム人民に残虐なことをた、とあり、その事が本多勝一の「戦場の村」には少しだけ、それも事実かどうかを確かめる為、言われている村を歩き、後にまた噂だけの村を歩いて、それが事実無根だということが分かるのですが、石川文洋の「戦場カメラマン」は噂を確認しないまま本になっているのです。私はどんな残虐なこと、また枯れ葉剤を浴びた兵士は、後にどういう生活をしているのかを知りたいのです。ベトナムへ行って韓国軍が歩いた跡を私も歩くつもりですが、何しろ35年も前の事ですので、大方片付いているでしょうし、行ってもどれだけのものが見れるか、と思うと思案してしまいます。猛虎軍がどこを歩いたのかはホンで少し分かりましたが、もしここを歩いたらもっと詳しく分かる、というところがありましたら教えて戴けないでしょうか。

 韓国政府は米軍の傭兵、という位置に我が軍を置きながら、「韓日条約」を結び、円借款をしていました。それでも経済の破綻は免れず、あの悪名高いキーセン観光を制度に組み入れたのです。

話が長々となりましたが、上記に記したことを教えて戴ければこれ以上の幸運はありません。何卒、宜しくお願い致します。(S・Y)

 お答え まず、このかつてあった運動の略称は「連」ではなくて、「ベ連」です。正式名称は「トナムに和を!市民合」だったからです。

 さて、ベトナム戦争に参加した韓国軍についてのベ平連の資料ということですが、あれば喜んでお見せするし、コピーを差し上げるなどのことも出来ますが、正直言って、残念ながら私の手元にある膨大な資料の中には、在ベトナム韓国軍の動向に関する資料は皆無です。当時、その問題に、ほとんど関心を持っていなかったせいだと思います。

 私の記憶にあるかぎり、この問題に関連してのべたのは、故鶴見良行氏のすぐれた論文「日本国民としての断念」(雑誌『潮』1967年10月号、後、鶴見良行著『反権力の思想と行動』盛田書店、1970年に採録)の中で、『東亜日報』1966年2月15日号にのった[ベトナム派兵各国軍人俸給表」や李錫烈特派員の論評を引用しつつ、韓国軍人の日本人への感情を論じた部分です。鶴見氏は「日本に向けられた韓国人のナショナリズムが大局的にはアメリカのベトナム政策に編入され、それによって利用されている状況は、私にとって耐えがたいことだ」と書いています。重要な指摘なのですが、当時の私たちベ平連にとっては、こういう視点でナショナリズムを見ることにまでは関心が行ったものの、韓国軍自体の「残虐行為」なるものを調べようとすることには関心がなかったと言わねばなりません。

 もう一つ、私の知っていることでは、ベ平連以後、1975年になってですが、韓国の『ハンギョレ21』(5月4日号)にのった韓陽大学リー・ヨンヒ教授(ベトナム戦争当時『朝鮮日報』国際部長だった)の「ああ、なんたる罪の深さか」という文章です。私はこれを日本の党派「第4インター」の機関紙『世界革命』(1995年5月15日号)にのった日本語訳で読んだのですが、韓国人自身によるこれほど痛烈なベトナム参戦批判の文章を読むのははじめてだったので、強い印象を受けました。そのなかにも「西側諸国の通信社が伝える韓国軍隊の残虐行為にかんする記事もしばしば入ってきた。それも公正に読者に伝えなければならないという私の新聞人的責任感は、そのたびに外部の圧力と衝突し、何度挫折したことか。」という文がありますが、「残虐行為」それ自体の記述はありません。

 そこで、いろいろ手持ちの別の資料も探したのですが、米軍や南ベトナム軍の残虐行為についての具体的レポートはあっても、「猛虎軍」のそれについての記述は皆無でした。私はあなたからの質問によって、あらためて、この問題が私の関心からも欠落してに気づかされ、ありがたく思った次第です。

 そこで、他の有識者の知識をお借りすることにし、まず、アメリカ現代史の研究家であり、ベトナム戦争の資料集や、ベトナム参戦米軍兵士の証言集なども編集された私の知人、K教授に尋ねてみました。また大学でベトナム現代史を研究しているF教授にも電話して尋ねて見ました。

 お二人とも親切にお答えくださいましたが、結論からいうと、私たちが今容易に入手できるような形での、在ベトナム韓国軍の「残虐行為」をまとめたようなレポートはアメリカにもまずないのではないだろうか、ということでした。ただ、当時ベトナムにいた日本の新聞社の特派員の特定の人や、韓国軍のベトナム派遣を韓国の外交政治の問題として研究している人がいるので、問い合わせてみることはできるだろうということでした。時間はかかります。しかし、この問題を調べる手がかりをどうしたら得られるか、ということはもう少し判ると思います。

 今考えられるとりあえずの手段は、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』なり『ワシントン・ポスト』といった新聞、そして『タイム』『ニューズウイーク』といった週刊誌などのデータベースから当時の記事をあさってみることです。リー・ヨンヒ教授の言う「西側諸国の通信社が伝える韓国軍隊の残虐行為にかんする記事」なるものは見つかると思います。もし英語がおできになるのでしたら、ぜひインターネット上で検索してみたらいかがでしょうか。

 K教授が教えてくださったことですが、フランスのフリーの記者で Marc Rivou(マルク・リヴー)という人がおり、この人は、「猛虎軍」が駐屯していたフエ南方地区を綿密に取材しているから、Rivou の書いたものの中にはあるかもしれない、ということでした。ただ、フランス語からの検索となると、私にはちょっと荷が重すぎます。

 石川文洋氏にもあたってみましょう。 他にもあといくつか、あたってみます。少し時間的余裕を下さい。 とりあえずのご返事まで。

 なお、ベ平連のホームページのうえに「談話室」を作るつもりです。そこに、このあなたとの往復 mail を転載したいと思っています。しかし、お名前は伏せます。ご了解下さい。今後、お名前も出して良ければお知らせください。その意味で、この mailの中でもK教授やF教授などと匿名にしました。

追伸   重要な文献を一つ挙げるのを忘れていました。『週刊アンポ』第6号(1970年1月26日号)に亀山旭氏の『ベトナムの韓国兵』という文章があります。私の知るかぎり、これはベトナム派遣の韓国軍について日本語で報じたもっとも重要な文献だと思います。それを挙げずに失礼しました。これは次をクリックすればご覧になれます。また、この文は少し手直しされて、亀山旭『ベトナム戦争――サイゴン・ソウル・東京――』(岩波新書 1972年)の中にも採録されています。この新書は今絶版ですが、図書館で見てください。

亀山旭『ベトナムの韓国兵』                  談話室の先頭にもどる