24. 再度、「内ゲバ」の問題について(E・K)(99.7.2.)

 こんにちは 先日は丁寧に解説・回答いただきありがとうございました。
 まず、私がいくつか早とちりしていたことをおわびしなければなりません。
 吉川さんが、「内ゲバ」をやるようなグループと一緒にやれない、とお書きになったのを見た時、非暴力主義者の私は「そうよ!内ゲバとかゲリラとか暴力を使う奴らは絶対許せないわ!」と単純に考えてしまったのでした。
 市民運動の連帯という話から内ゲバの話になったのですから、そういうレベルでは確かになかったのでした。連帯しようとする市民運動相互間で主義主張の違いを理由に内ゲバになったのでは、連帯どころではありませんよね。吉川さんのおっしゃりたかったことはそういう意味ですよね?
 ただ、吉川さんは、対権力闘争で行使される暴力を否定なさっていないようなのですが、気のせいですか?

>権力が武力をもって民衆を圧迫してくるとき、それに反撃する民衆の権利から、
>無条件に暴力を奪ってしまうことはしないほうがいいと思います。(といって、こ
>れまで、対権力闘争で行使された暴力闘争のよしあしの評価は別問題です)。

 暴力といっても、言葉の暴力、周囲からの圧力という暴力などいろいろ種類があると思いますが、私は身体・生命に対する暴力だけは断固許せません。内ゲバもまたそういう性質を持っていたはずです。
 権力が暴力で民衆を圧迫してきたからといって、同じ手段で反撃するのは正に権力と同レベルに成り下がることです。もし、権力に同じ手段で反撃し、成果を得ようとするなら、権力と同じ水準の暴力的手段を保持せねばなりません。それこそ意味のない力であると思います。ならば、権力が暴力を行使してきた時、非暴力を徹底し、こちら側の正当性を主張すべきだと思うのですが?吉川さんのように市民運動のベテランではないので、甘ちゃんの意見に聞こえるかも知れませんが、実際吉川さんはどうお考えですか?
> また、「内ゲパ」派の党派と、いわゆる新左翼党派一般も区別したほうがいい
>と思います。「過激派」という言葉は、新左翼党派一般、さらには、一部の市民
>運動まで含めて、権力やマスコミが使う言葉であって、その意味では「過激派」
>=「内ゲバ」派ではありません。第四インターのように、立場の違う党派から、
>暴力攻撃を受け、重傷者まで多数出しながら、暴力による報復を自制して、「内
>ゲバ」を強く批判している「過激派」もあるのですから。

 これも一緒くたに「過激派」と括ってしまった私の思いこみを、おわびしなければなりません。しかし、そうしたことはわかりにくいことも事実です。
 このメールを書く前、ちらっと吉川さんのホームページを覗いたのですが、吉川さん、4月に明治大学で講演をなさってますよね?明大の友人に聞いたところ、毎年新入生向けにそういう講演会をやっているのだそうですが明大名物(?)の立て看板にあの独特の字体で行事予定が書かれると、みんな「ああ、危ない系だな」と思ってしまい、「やーめた」となるのだそうです。
 これではどんなに吉川さんが良い話をしても、その前に聞き手から選別されてしまっているようなものだと思うのですが、吉川さんはどう思われますか?

> かつて、私のところに若い女の人の声で名前も名乗り、市民運動の一人だといっ
>て、国鉄関係のある闘争アピールへの賛同を求める電話がありました。実に丁寧
>は話口調でした。いろいろ話を聞いている中で、その情報はどこに載っていたの
>かとしつこく尋ねると、ある大学の学生新聞名や、ある党派の機関紙の名を挙げ
>たので、私は、そういう内ゲバ派の文書は信用できないのだが、と答えると、途
>端に、「テメェ、吉川! 市民ヅラしやがって、覚えてろ!」と啖呵をきられて、
>びっくりしたことがあります。久しぶりにそういう罵声をあびせられ(30年ほ
>ど前はしょっちゅうでした)、少し懐かしい思いさえしたのですが(これは冗談)、
>とにかくそれで、この件は終りでした。

 私は以前ちょっと労働問題に興味を持ち、労働法や労働協約など少し勉強したことがあります。以前に比べると労使相互で非難合戦の泥沼に陥る労使紛争は本当に減りました。ただでさえ、不況ですから、そんなことをやっている場合じゃないのでしょう。一度紛争になってしまうと、解決までに大変時間がかかりますし・・・
 そんな中で、一際注レしたのが国労組合員の解雇撤回問題でした。確か、今でも国労共闘というホームページがあると思います。関心を持ってみていたので、吉川さんのお話を聞いてビックリ!あれって内ゲバ系なんですか?
また質問ばかりになってしまいました・・・  それではまた
E・K 匿名希望 
 (199/07/02  13:08 発信)


お答え

 メール拝受。
 また、ご質問をいただきましたので、簡単ですが、お答えします。なお、この質疑応答は、前のやりとりと同様、べ平連ホームページの「掲示板」欄にも転載することをご了承下さい。
> ただ、吉川さんは、対権力闘争で行使される暴力を否定なさっていないよう
> なのですが、気のせいですか?

 はい。否定していません。ただ、私はその方法をとりません。しかし、対権力闘争での暴力を否定すると、ベトナム人民の対米戦争とか、植民地・従属国の人民の対権力実力闘争もすべて否定されることになってしまいます。私は、日本国内での自分のかかわる運動では、非暴力を主張し、実行しますし、日本国内で、そういう戦術をとっている集団を間違っていると批判することもあります。また、アメリカ国内での運動ををとっても、たとえば私の翻訳した非暴力活動家、デイヴ・デリンジャーの自伝『「アメリカ」の知らないアメリカ』(藤原書店、1997年)の中で、詳しく語られているデリンジャーの実践には、心から感動し(というか、参った、という畏敬の念のほうが強いです)ますが、同時に、デリンジャーも共闘したかつての「ブラック・パンサー党」(黒豹党)のボビー・シールらの主張と実践のすべてを間違っていると否定することはできません。(デリンジャーの自伝はかなり厚い本で、定価も\6,800とかなり高いのですが、図書館などで、是非読んで下さるよう、お勧めします。) それを実行するか、どうかは別問題として、権利として人民の使う手段に、制限を課すことはすべきではないというのが、私の意見です。
> 権力に同じ手段で反撃し、
> 成果を得ようとするなら、権力と同じ水準の暴力的手段を保持せねばなり
> ません。それこそ意味のない力であると思います。

 必ずしも、そうはならないと思います。わかりやすい例でいえば、ベトナム人民の使った手段は、アメリカのそれと比べて決して同水準ではありませんでした。
> 聞いたところ、毎年新入生向けにそういう講演会をやっているのだそうですが
> 明大名物(?)の立て看板にあの独特の字体で行事予定が書かれると、
> みんな「ああ、危ない系だな」と思ってしまい、「やーめた」となるのだそうです。
> これではどんなに吉川さんが良い話をしても、その前に聞き手から選別されて
> しまっているようなものだと思うのですが、吉川さんはどう思われますか?

 確かに、そういう字体の看板も出ていました。私は、その字体も一種の自己主張の一つの表現形態だと理解していますが、そのために人が来てくれないのでは困ります。来てくれそうな字体に変えたほうがいいでしょうね。
 ただ、実際はどうだったかというと、あの日は、大きな教室に二百数十名の新入生が集まり、私の話が始まっても、帰る人は何人しかいませんでした。そして、終った後、主催者の「駿台文学会」が、さらに私と懇談したい人は、自治会室に来て、お茶を飲みながら、話を続けましょう、と誘ったところ、何と二〇数名の参加者があり、私は驚きました。新入生ですから、それまで、ガイドラインのことも政治のこともほとんど聞いたこともなかったような若者が、私の話の後、1割も残ってくれたということに嬉しい気持ちを持ちました。そもそも、「ああ、危ない系だな」などという感じをもつほどの情報ももっていない人たちだったと思います。
> そんな中で、一際注目したのが国労組合員の解雇撤回問題でした。確か、今でも国
> 労共闘というホームページがあると思います。関心を持ってみていたので、吉川さん
> のお話を聞いてビックリ!あれって内ゲバ系なんですか?

 いいえ、国労は内ゲバ系ではありません。私も、国労組合員に対するひどい差別、抑圧には抗議しており、友人の鎌田慧さんらが先頭になって進めている国労支援の運動に加わっています。「国鉄労働組合中央本部」の発行する『国鉄新聞』も毎号送られてきています。
 私のところに電話をしてきた人は、断言はできませんが、おそらくJR総連系の運動にかかわっている革マル派の活動家だったろうと推測しています。JR総連も全体として「内ゲバ」系だとは言えないし、組合員が全部革マル派だなどということはありえません。しかし、私のホームページの「市民運動」欄にのせた「許すな盗聴法! 6・24大集会」についての感想にもあるように(これはぜひ読んでみてください)、中核派は、「JR総連=革マル」と言って非難しています。JRの労働者の中にも、いろいろな派があるのです。
 以上、とりあえずのご返事まで。 
 (吉川勇一)

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