14. 浜松べ平連について――青池憲司さんのこと(小中陽太郎)(1999/2/8)
この掲示板の No.2 に、浜松のY.K.氏の文があります。そこに出てくる喫茶店には、ぼくも話しに行きました。(青池憲司君がやっていた喫茶店です。)
青池君は「スパイ」どころか、あの喫茶店を必死に支えつづけ、のち夢となり、演出家となり、テレビのドキュメント(「遠くへ行きたい」)、東プロのあと、スペインの現実の記録映画、今、阪神大震災にはりついています。
彼の近況のハガキをぜひのせてあげてください。
(小中陽太郎 1999.2.8. 15:32
konaka@isc.chubu.ac.jp )
青池さんからのハガキ
寒中お見舞申しあげます
阪神大震災から5年目の新しい年がはじまりました。ことしも、わたしたち野田北部を記録する会は、被災地「こうべ」の仕事をつづけて参ります。どうぞよろしくおねがいします。
この4年間に、わたしたちは、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』を第10部まで発表しました。昨年はこの他にも、震災復興記録の英語版『STARTING OVER AGAIN』と、他文化で多様なまちづくりを目ざす活動を紹介した『多民族社会の風』、TVドキュメンタリー『群れの中で子どもは育つ』(NHK)を製作しました。いずれも、震災後のこうべを撮ることで生まれてきたテーマです。
ことしは、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』の続篇をまとめるとともに、新たな展開をめせはじめた「まちづくり運動」に、着目していきたいと思います。
1999年1月 野田北部を記録する会 市川市福栄3-23-1-328
まだしばらく「こうべ」をつづけます。被災地から新しい風がふきはじめています。(青池 憲司)
(吉川注: 浜松の Y.K.さんのいう「喫茶店」をやっていたのが、青池さんだとは私はしりませんでした。もしそうなら、もちろん、スパイの話などは、単なる無責任な噂だったのでしょう。青池さんは、富山妙子原作の「海鳴りの花寄せ」(1997)の監督もされていますね。)