101. 鶴見さんのぼけっぷり ?! (匿名)  2011.05.04掲載 )

  『新しい風土記へ』(朝日新書)という俊輔さんの座談集を目に止め、読んでみました。池澤夏樹さんとの座談で「イントレピッドの4人」に触れ、このときのベ平連の事務局長は映画プロデューサーの久保圭之介だった 、と語っています(P187)。元事務局長の、このときの映画製作者と吉川さんを混同している訳ですが、いくらなんでもあんまりではないのかと思い、ここに報告します。少し前の頁では、鶴見・小田・吉川御三家の並んだこの事件の記者会見の写真(右の写真)が使われているにもかかわらず、です。
  また、出版する側の問題として、こんな基本的な事実誤認が訂正されないまま書店に並んでしまうのも信じられないところですが、ここら辺は如何なもんなのでしょうか。(2011年5月1日着 匿名希望)

(担当者からご返事)
鶴見さんの発言でのベ平連事務局長の間違いについてお知らせを下さり、有難うございました。私も『新しい風土記へ』の187ページの間違いは気がつき、鶴見さんにもお伝えしてありました。
 でも、「ぼけっぷり」や「いくらなんでもあんまりではないのか」は少しお気の毒でしょう。お年ですし、また、この種の日付の間違いや人名の取り違いなどは、誰もよくやりえることで、私もあるかもしれません。
 鶴見さんでの間違いでもっとひどいのでは、昨年出たDVD『鶴見俊輔 みずからを語る』(テレビマンユニオン、¥3,000)での勘違いで、1967年のイントレピッド号の脱走問題と、1968年の佐世保エンタープライズ闘争との時期を逆に前後に間違いをして発言していました。しかも、このDVDの聞き手は黒川創さん、ディレクターは坂元良江さんで、どちらもベ平連や脱走兵闘争については専門家と言えるような人物だったのに、えらく初歩的な大ミスをやっているのですから……。この件は訂正を載せてあります。クリックしてください。
 もっと凄いのでは、久野収『市民として哲学者として』(毎日新聞社、1995年)の中の話で、開高健さんがベ平連の運動から離れる際、開高さんと小田実さんとが話し合いが行なわれ、運動の離れ方について話したついた、ということがでてきます。しかし、こんな集まりは一度もなかったことでした。これは困ったことです。この本に出てしまうと、なかったことが歴史上にになってしまいそうです。この本は、それ以外に、人物の名前の違いなど何度もあります。そしてこの本の聞き手は、政治学者で、ベ平連の中心人物の一人だった高畠通敏さんだったのですから、話にならないという誤りです。でも、こういうことは時々起こるのです。
 2008年の小中陽太郎さんの『市民たちの青春 小田実と歩いた世界』(講談社)は、多数の事実の誤りだけでなく、歪曲とも言えそうなところもあり、さすがに放置できず、ベ平連のサイトの上で、この本の長い「正誤表」を発表して誤りを指摘したのでした。この正誤表は、ここをクリックしてください。
 というわけで、鶴見さんの今度の誤りなど、軽い方ではなかろうか、と思っています。
 それにしても、こういう誤りがあちこちにあるのですから、旧ベ平連のサイトの中に、「ベ平連についての記録上の誤りについて」というファイルを作って載せたほうがいいかもしれませんね。考えて見ます。
 いずれにせよ、情報、有難うございました。とりあえずのご返事です。(吉川勇一)
 

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