66. 山口健二さん逝去のお知らせ (99/06/13)
栗原幸夫さんが、12日、JCAのaml通信に掲載された通信によると、山口健二さん(74歳)が6月12日早朝、逝去されたとのことです。以下、その通信を転載します。なお、べ平連やジャテックの脱走兵援助活動(具体的には、韓国出身米兵金鎮陬洙の中国への出国計画)への協力の具体的状況は、山口さん自身の談話も含め、坂本良江・関谷滋編『となりに脱走兵のいた時代』(思想の科学社、1998年)の p.44〜49 に詳しく記述されている。
『世界革命運動情報』誌の発行やレボルト社の運動、あるいは米軍脱走兵援助などで、戦後の社会運動に特異な足跡を残した山口健二さんが、今暁(12日)、新宿の都立大久保病院で死去しました。
山口さんはここ数年、坐骨神経痛になやまされ、寝たり起きたりの状態でしたが、最近、いちじるしく体調をくずし、5月26日に友人たちが強引に入院させました。そこで精密検査の結果、末期肺ガンおよび白血病の可能性(白血球の異常数値)と診断されました。入院時から6月3日までは集中治療室に入り、面会謝絶の状態でしたが、6月4日に一般病棟に移され、面会もできる状態になりました。
私(栗原)は翌5日に見舞いましたが、もう余命いくばくもないように見受けられました。意識は正常と混濁のあいだを行き来しているような状態でした。別れ際に「また来るよ」と言うと「もう会えないよ」と言って握手をもとめてきました。それからちょうど一週間であちらへと先行したわけです。
葬儀などは彼の思想信条からしてとうぜんおこなわれません。 このML(メーリング・リスト)には彼を知る人も少なくないとおもいますので、とりあえずお知らせいたします。
山口さんの遺体は、13日(日曜)午後2時から、代々幡葬儀場で荼毘に付されました。告別式などの儀式はおこなわれません。葬儀場では、友人の松田政男さんが参加者に挨拶され、一同で棺の中に花を入れました。50人ほどの参加者の中には、宇田玲子さん、樋口篤三さん、栗原幸夫さん、太田昌国さんらがおられました。(吉川記)
なお、8月上旬、東京都内で、山口健二さんを偲ぶ会が開かれる予定です。おってこの欄でご通知します。