621.軍事評論家、藤井治夫さんが3月2日に逝去。(2012/03/31掲載)
軍事評論家の藤井治夫さん(1928年生)が3月2日に逝去されていました。マスコミを含め、ほとんどの報道がなく、お伝えすることが遅くなりました。 哀悼の意を表します。以下は、唯一、「9条連」のニュースのみに掲載されていた訃報で、全文をご紹介します。
訃報 (『世界へ未来へ 9条連ニュース』 No.207 2012年3月20日号より) |
藤井さんは、山口経済専門学校(現山口大学)を中退し、和歌山県地方労働組合評議会専門委員などをした後、上京し、日本共産党の機関紙『アカハタ』の編集部におり、『前衛』で軍事評論を載せたなどがあり、その当時から軍事評論、自衛隊問題などに詳しく取材、研究していました。その後、共産党から離れて、独自に軍事問題研究に専念、1975年には、小山内宏さんらと軍事問題研究会を設立し、事務局長となり、雑誌『軍事民論』を発行して、主筆となりました。また、1970年夏からの、ベ平連が中心とした小西誠反軍裁判(新潟地裁、第一審)では、特別弁護人になり、71年秋の新潟地裁での裁判では、自衛隊を鋭く告発し、「沖縄の民間人虐殺は、軍隊の極限状況における自己暴露であるが、そこにあらわれた――同胞といえども一個の道具だ――とする非人間性・非人民性こそ軍隊の本質である」と証言されていました。
以下に、『ベ平連ニュース』No.70 1971年8月1日号に掲載された藤井さんの文章をご紹介します。
レア一ド来日と自衛隊 (『ベ平連ニュース』No.70 1971年8月1日号) |