607.小松左京さん、7月26日に逝去。80歳。(2011/07/31掲載)
2011年7月26日、SF作家の小松左京さんは、肺炎のために逝去されました。80歳でした。心からご哀悼の意を表明します。
小松さんの「日本アパッチ族」、「日本沈没」、「復活の日」などの作品は有名で、小松さんの活動をここで言うまでもないでしょう。
小松さんは、1966年5月22日のベ平連の第2回デモ、日米の歴史でも初めての、両国市民の共同統一行動の際、小田実、開高健、堀田善衞、福田善之、高橋和己、加藤芳郎、サトウサンペイさんら29人の
一人として呼びかけ人になっています。小松さんは、ベ平連運動の前半に、積極的に活発されました。この時の「共同宣言」を以下に紹介しておきます。また、1966年8月、東京で開かれた「ベトナムに平和を!日米市民会議」に参加され、詳しい報告も書かれています。この文章も全文、
最後にご紹介します。ただ、1970年の大阪万博でプロデューサーとして活動されましたが、その前年以降、ベ平連は大阪万博に反対し、69年には大阪で「反戦ための万博」(ハンパク)を開催したりしました。当時、とくに若いベ平連の活動家たちからは、この小松さんの姿勢に批判し、「小松右京」などという人もありました。
以下の「共同宣言」は、1966年5月22日のデモ(東京・清水谷公園で集会し、溜池、虎ノ門、神谷町を通って芝公園23号地まで行進)で、当日に参加した人びとによって署名され、連名で発表されました。その中に小松左京さんも入っています。アメリカの「ベトナムの日委員会」は、アメリカの数学者、スティ−ブン・スメイル教授とジェリー・ルビン氏をを議長とし、5月21,22日の両日、カリフォルニア大学で36時間の集会が開かれ、多くの作家、芸術家、上院議員、教授、学生たち多数が参加した。
共同宣言 |
刻中止と軍隊の引き揚げ、そして民族自決の原則に従って、南ベ |
以下は、1966年8月11〜13日、東京のサンケイ会館国際会議場で開催された「ベトナムに平和を!日米市民会議」に参加した小松左京さんが、月刊雑誌『文芸』(河出書房)の1966年10月号の「特集・私は平和のために何をするのか」の中に掲載された文章で、PDFファイルで紹介します。ここをクリックしてください。