602.意見広告――ウィキペディアでのベ平連への意図的歪曲報道。近く室謙二さんから反論の出版。(2011/05/11掲載)
インターネット上の百科事典「ウィキペディア」はよく利用されているようですが、「ベ平連運動」や、小田実、吉川勇一などに関連する項目には、いかにも客観的であるかのような表現をとりながら、実は意図的に歪曲してまったく事実とは違った内容が書かれているものが多くあります。たとえば、最近では、「意見広告」の項目のなかの「主な意見広告」を見ると、その先頭には、「1960年代にベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)がニューヨーク・タイムズ紙に多額の掲載料を負担して全面広告を掲載した。当時は、一反戦団体が全面意見広告を掲載するのは異例の事態であったが、後にソビエト連邦のKGBから資金提供を受けていた事実が発覚した[1]」とあり、その脚注には、「Koenker,
Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), Revelations from the Russian
archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of
Congress, 1997, pp699-700.」とあって、いかにもその内容が、アメリカでの図書に証拠が出ているような注になっています。
1965年11月16日、ベ平連は、米『ニューヨーク・タイムズ』紙に1ページの反戦広告を掲載しました(左の写真)。確かに、「反戦団体が全面意見広告を掲載するのは異例の事態」であったことは、この時期に言えるかもしれません。しかし、それはこのために日本全国から約2万人から250万円もの募金が集められたものだったからです。
この意見広告のために「ソビエト連邦のKGBから資金提供を受けていた事実」などは、まったくありませんでした。この意見広告の具体的な報告については、鶴見俊輔・開高健・小田実編『平和を呼ぶ声――ベトナム反戦・日本人の願い』という、番町書房発行(1967年2月刊)の書物(右の写真)に詳しく載っています。この意見広告運動を検討するのでしたら、まず、この書物が最初に指摘されるべきなのですが、そういう引用はまったく書かれてありません。
在米の室謙二さんは、今、1946年から1970年ぐらいまでの、日本における「アメリカ体験」についての本を書きました。これは来月5月26日に岩波書店から発売される予定です。タイトルは『天皇とマッカーサーのどちらが偉い 日本が自由であったころの回想』のようです。その最終章は、ベ平連とジャテックでの室さんの経験のことで、そこでベ平連・ジャテックとソ連との関係が、ウィキペディアに記述されていることとは違うということを、資料的・体験的に書かれています。ウィキペディアには、ベ平連ならびにジャテックのKGBからソ連党中央への秘密報告書を指摘しながら、小田さんや吉川さんもでてきますが、もっともその記述の解釈に関しては、ベ平連とソ連の関係について書いている産経の記者とか、もとKGBのスパイでアメリカに亡命したレフチェンコとか、あるいはそれらの記事を使って書いたもので、来月岩波から出版される室さんの本の最終章では、Wikiの解釈とはまったく違う結論が書かれるはずです。この出版が期待されています。