548. 中川六平さん、岩国の「ほびっと」の記録の著書刊行 (2009/10/15掲載)
かつてベトナム戦争のさなか、山口県の岩国に、米軍の首脳部を震撼させていた世界の米軍基地の中で最大の反戦米兵組織が活動していた。その機関誌『SEMPER FI』の発行援助とその配布をはじめ、この基地内反戦活動を全力を挙げて支援していた岩国のベ平連グループがいた。そこでは1970年には、反戦の喫茶店「ほびっと」が開店され、それは強力な反戦活動の拠点となった。米国務省、海兵隊、在日米軍、そして日本警察庁は、まったく根拠のなかったPFLPや日本赤軍との軍事関連があるという捏造の事件で、この「ほびっと」への弾圧も加えたのだった。
この活動の中心にいたのが、岩国や広島でのベ平連活動家、同市内の教会の牧師たち、そして京都や福岡などから移ってきた若いベ平連の活動家たちだった。
これまで、この岩国の記録は、ごく一部と小説などでは出されていたが、全体の記録は存在していなかった。今度、この「ほびっと」のマスターであった中川六平さんが、当時に書き留めていた日録をはじめ、さまざまの資料に基づき、この岩国での反戦活動の記録
をまとめ、発行されることになった。
『ほびっと 戦争をとめた喫茶店――ベ平連 1970-1975 in イワクニ』 で、講談社から10月15日に刊行で、税別で1,800円 である。目次と帯の文は最後に。本書の終わりには鶴見俊輔さんの「日本人の中にひそむ〈ほびっと〉」という文が載せられている。この最後にはこう書かれている。
……喫茶店「ほびっと」の宣伝マッチは、長新太にかいてもらった。(注 左上の本表紙にある図がこのマッチ)ほかにべ平連のはがきに加藤芳郎、富永一朗の力を借りた。漫画家ではないが、岡本太郎のデザインした書き文字「殺すな」のポスターやバッジは、強い影響をもった。
以上、たのしい思い出である。「ほびっと」のお客から岩瀬成子という児童文学者が育ち、戯曲や小説を書いた。『朝がだんだん見えてくる』。これは上演された。
「ほびっと」では、マスターの中川六平は焼きうどんを得意とし、私はそこでよく食べた。外に出て「大学」という店で百円のすき焼きを食べることもあり、うまかった。……
「ほびっと」は、惜しまれてつぶれた。六平は近所のおばさんに人気があり、送別におむすびをもらった。「ほびっと」の終わりからしばらくして、ベトナム戦争はベトナム人民の勝利に終わった。やがて人間は過ぎてゆく。その終わりの前に、日本人民の中にひそんでいるホビットやザシキワラシに呼びかけて、新しい反戦運動がおこるのを待つ。
ほびっとのみなさん、さようなら。ありがとう。 ――
目次 少し長いまえがき |
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本書の帯の文は、
「小田実、ジエーン・フォンダ、岡林信康……みんなベトナムのことを考えていた ぼくの米軍基地前ドタバタ日誌」
中川六平さんの紹介(本書のカバーに)
中川六平(なかがわ・ろっペい)
1950年新潟生まれ。同志社大学卒業。大学時代からべ平連活動に参加。在学中、哲学者・鶴見俊輔さんと出会う。75年、東京タイムズ入社。85年退社後、ライター、編集者となる。
著書に『「歩く学問」の達人』(晶文社)、『天皇百話・上下』(鶴見俊輔共著、ちくま文庫)がある。また、晶文社の編集者として『ストリートワイズ』(坪内祐三)、『月と菓子パン』(石田千)、『全面自供』(赤瀬川原平)、『小沢昭一随筆随談選集』全6巻などを担当した。