吉岡正幸
告別式のお知らせ
吉岡正幸は、この2月末以来、脳梗塞を患い、佐久総合病院(長野県佐久市)に入院していましたが、6月13日午後8時19分、彼岸へと旅立ちました。享年96。
1913(大正2)年1月1日にこの世に生を受けてから現在まで、皆様に支えられ、充実した人生を送ってきました。本人は最後となった著書の冒頭に、「私の生涯の主たる道は教師として生きたことである」と書きましたが、その題名を「生かされて」としました(1990年晩秋刊行)。皆様からお寄せいただいた数々のご厚情なしに、みずからの人生はありえなかったという感謝の念が、ここには表われています。家族としても、深く御礼申し上げます。
通夜・出棺は6月15日と16日の両日にわたり、家族と近親者で済ませました。告別式は以下の段取りで執り行ないます。ご多忙の皆様を煩わせてしまうのは本意ではありませんので、どうぞご都合のつく範囲内でご参集いただければ幸いです。
2009(平成21)年6月
家族一同
妻/吉岡栄子
長男/徹次男/攻三男/忍
長野県佐久市大沢414-1
電話0267-62-3732
日時6月27日(土)
葬儀委員長=依田公一同副委員長=関三郎、矢嶋正一
偲ぶ会午後1時〜2時
ホテル「一萬里」3階ホール
※ホテル一萬里=長野県佐久市中込3150-1 中込バイパス沿い
電話0267-63-3355
※教師として生涯を過ごした故人について、ご支援・ご指導いただいた方々に語っていただきます。お時間のある方はご自由にお越しください。
葬儀午後2時30分〜3時30分
ロン・パラディ
※ホテル「一萬里」と同敷地内にあるセレモニーホールです。
電話0267-63-3727
※不行き届きゆえ、連絡の不備があろうかと存じます。お知り合いの方々にお伝えくださいますよう、お願いいたします。
[吉岡正幸略歴]
1913(大2)
長野県北佐久郡三岡村(当時。現小諸市)に生まれる。
1932(昭7)
長野県師範学校卒業後、長野県内で教職に就く。以後、1958(昭33)年までに、高島小学校、福島小学校、師範学校附属国民学校、小諸第二国民学校、田口国民学校、野沢小学校、上田北小学校、信州大学附属中学校で教員・教頭を務める。
1948(昭23)
長野県の内地留学制度により、東京大学文学部倫理学科に在籍し、和辻哲郎、片山敏彦、金子武蔵、森有正、下村寅太郎、池田美恵らに師事する一方、務台理作、田辺元、臼井吉見、唐木順三らから教えを受ける。
1958(昭33)年長野県教員委員会教学指導主事。
1962(昭37)年〜1973(昭48)年長野県南佐久郡南牧小学校長、佐久市中込中学校長、長野県教育委員会教学指導係長、長野市柳町中学校長を務める。
この間、時期に応じ、長野県中学校校長会会長、関東甲信越地区中学校長会会長、全日本中学校校長会副会長等を務める。また、道徳教育学会、佐久教育談会、哲学を楽しむ会、佐久文化会議等の設立に尽力し、学校教育と哲学・思想・文学の架橋に関心を向ける。
1973(昭48) 退職し、長野県佐久市大沢にて家居。
1975(昭50)
信濃教育会図書編集主任となり、「一茶全集」等の編集に参画(毎日出版文化賞、文部大臣賞受賞)。1985(昭55)から10年間、雑誌「信濃教育」の編集主任を兼務する。
[著書]
「子どもと道徳」以文社1976
「教育の内側から」ぎょうせい1986
「教育の実像」信濃教育会出版部1988
「生かされて一教師の歩み」私家版1990 |