491. 「ゼッケン年」の金子徳好さん逝去。(2007/11/30掲載 )
元日本機関紙協会副理事長の金子徳好さんが11月26日に心筋梗塞で逝去されました。享年83。謹んでご冥福をお祈りします。金子さんは、ベトナム戦争の続く時期、通勤の往復に「アメリカはベトナムから手を引け」などのゼッケンを胸につける活動を8年間続けました。その記録は『ゼッケン8年』として出版されています(朝日新聞社刊)。
『赤旗」(11月27日号)によれば、通夜は29日に、葬儀は30日午前11時おから、渋谷区西原2-42-1の代々幡斎場で、長男、修介さんを喪主として行なわれるとのことです。自宅は三鷹市上連雀9-13-1-106。
このゼッケンは、2002年の春、ベ平連などがベトナム、ホーチミン市の戦争証跡博物館に日本の反戦市民運動の諸資料を寄贈する際、そのグループに参加された夫人の金子静枝さん(きり絵作家)によって寄贈され、現在、同博物館に展示されています。
以下に、そのゼッケンをつけての通勤の模様を描いた静枝さんのきり絵と、ご夫妻の文を、『市民の意見30の会・東京ニュース』No.89(2005年4月号)から転載します。
【表紙のきり絵】
「三鷹の朝」
金子 徳好
「アメリカはベトナムから手をひけ」と書いたゼッケンを着けて通勤一人デモを始めたのは1965年4月5日だった。
この数日前の会議で事務局と酒を飲みながらベトナムへの北爆について論じあっていた時、「よし、俺はゼッケンを着けて抗議するぞ」と宣言してしまい、みんなから「さすが、事務局長!」と拍手を受けたため、後に下がれなくなったのである。
家は渋谷区初台で、四畳半一間で4人家族はあまりに狭く、たまたま人を介して三鷹に空き家があるのを知って、すぐ引っ越しを決意した。引っ越しのトラックの上で小学校4年の長男から「三鷹に移ってもゼッケンを続けるの?」と聞かれ、困ったことを憶え
ている。
三鷹の家はこんもりと繁った森をくぐって歩くところにあった。その道を自転車に乗って通勤し駅前の自転車置き場において中央線に乗るのが通勤の経路だが、森の中で近所の人達と出会い、みなゼッケンを見てびっくりしていた。
静枝は1968年春のアンデパンダン展でこの風景を「三鷹の朝」と題して20号ほどのきり絵にして出品し、多少話題になった。
その後、この絵はハガキ大にして、ベトナム人民支援募金をもらった時の領収書として持ち歩いた。また、この絵は婦人団体連合会の会長櫛田ふきさんがベトナムから招待された時に持参し贈呈した。私たち夫婦にとってはいろいろなことを想いだす絵である。
(かねこ・とくよし、元日本機関紙協会理事長、著書に『ゼッケン8年』朝日新聞社刊)
金子 静枝
1965年から73年までの8年間、我が家はベトナム反戦のゼッケンホームだった。
子供たちは、お父さんは毎朝、お母さんが作ったゼッケンを着けて会社に行くものだと思っていた。次男は保育園まで自転車に乗せてもらって通園した。この絵はその光景である。3年目から、募金箱を首から下げていたのでカンパの領収書がわりの絵ハガキにして渡し、支援カンパ500万円にもなった。
(かねこ・しずえ、きり絵作家、市民の意見30の会・東京会員)