486. 小田実さん の葬儀の第一報。(2007/08/05掲載 08/05その後、写真を追加

 小田実さんの葬儀について、とりあえずのご報告です。 (掲載の写真は大木茂さん撮影) 

 葬儀は、8月4日〈土〉午後1時から3時まで、東京の青山葬儀所で無宗教の方式で行なわれ、約800人の人びとが参加しました。葬儀委員長は、鶴見俊輔さん、葬儀の司会は、俳人の黒田杏子さんでした。屋内の座席は200弱でしたから、多くの参加者は葬儀の間、屋外のテントの中や木陰で、スピーカーを通して葬儀の模様を聞きましたが、この日、東京の天候は、風はあったものの、34℃を超える今年最高の暑さで、かなりたいへんだったと思われます。
 会場の入り口左側には、供花した団体名や個人の名前がパネルで掲示されていましたが、その中には、「旧ベ平連有志」「旧ジャテック有志」「大泉市民のつどい有志一同」 「福岡ベ平連」「名古屋ベ平連」などのパネルがありました。また「名古屋学院大学吉川ゼミ一同」(1970〜72年に吉川勇一さんが指導教員だったときのゼミ生)というものもありました。
 葬儀は、まず、小田さんへの黙祷がささげられ、ついで、坂元良江さんが編集した小田さんの生前
の活動や面影を伝えるビデオが映写されました。(左の写真)その後、葬儀委員長、鶴見俊輔さんの弔辞 (右の写真)に続き、以下の5人の方からの弔辞が述べられました。加藤周一さん〈評論家)、ドナルド・キーンさん(アメリカ、日本文学研究家)、趙根台(チョウ・クンテ)さん〈韓国、ヒョナム社社長)、山村雅治さん(市民=議員立法実現推進本部事務局長)、吉川勇一さん(元ベ平連事務局長)。これらの弔辞の一部は、追って掲載する予定です(吉川さんの弔辞だけは、吉川勇一個人ホームページにすでに全文が掲載されています)。弔電としては、アメリカのハワード・ジンさん(政治学者、歴史学者)、ノーム・チョムスキーさん(言語学者)、金大中(キム・デジュン)さん(韓国、元大統領)などからのものが紹介されました。
 鶴見葬儀委員長の参加者へのご挨拶のあと、吉川勇一さんから、葬儀の後のデモの案内が行なわれました。そして、葬儀委員長、ご遺族(夫人の玄順惠さん、ご長女の小田ならさんら)の献花のあと、参会者全員による献花が続きました。その間、正面の小田さんの遺影の両側に掲げられたスクリーンに、さまざまな小田さんの写真がつぎつぎと映し出されていました。また、その間、小田さんが好きだ
ったというベートーベンのピアノ・コンチェルトが流されました。多い参加者の献花は、かなり長い間つづきました。
 献花が終ると、親戚の方と葬儀委員によって小田さんの柩が黒塗りの大型車に運ばれ、参加者はそれを見送りました。、車が動き出すとき、参列者の間からは、期せずして拍手が起こりました。 (右の写真)小田さんへの感謝の意の表明だったと思います。(火葬は、品川区の桐ヶ谷斎場で行なわれ、4時半に終了、30人ほどの参加者
によって小田さんの拾骨が行なわれ、遺骨は、玄順惠さんの胸に抱かれて、火葬場をあとにしました。)
 青山葬儀所からの出棺が終ると、参加者のうち、500人ほどの人びとが宣伝カーと「小田実さんの死を悼む ――反戦の遺志をついで――」と言う横断幕を先頭に デモ隊列を作り、青山1丁目駅近くの青葉公園まで、20分ほどのデモを行ないました。(左の写真)デモの先頭には、葬儀委員長の鶴見俊輔さん、デモ責任者の福富節男さん(数学者)、ベ平連元事務局長の吉川勇一さんらが歩きました。 奥平康弘さん、和田春樹さん、栗原幸夫さん、高橋武智さんらもデモに参加されました。デモでは、”We Shall Overcome”が歌われ、合間では、「すべての戦争を許さない」などのシュプレヒコールも福富さんの音頭で叫ばれました。炎天下のデモで、みな汗びっしょりになりましたが、解散地の公園まで歩き、そこでは。福富さんの司会で解散集会も行なわれ (右の写真)、西ドイツから来日して参加した「独日平和フォーラム」のオイゲンさんほか何人もの参加者が発言しました。久しぶりのベ平連デモといった雰囲気でした。
 葬儀やデモには、旧ベ平連運動や旧「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)の活動家が多数参加しました。旧「新宿フォークゲリラ」の伊津信之介さん(福岡・東海大教授)、元佐世保ベ平連の濱田亮典さん、元京都ベ平連の次田哲治さん、元松本ベ平連の前川政明さんなど、遠隔地からの参加した人も少なくありませんでした。長い間、音信不通で心配されていた元ヤングベ平連の望月広保さんの姿もありました。

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