447.元「 仙台ベ平連」の瀬川満夫さんによる「九条せんべい」のご紹介。2007/01/12掲載)

 すでに、あちこちで紹介されており、いささか遅きに失するのですが、元「仙台ベ平連」の中心メンバーの一人だった瀬川満夫さんが、「九条せんべい」を作り、拡げておられます。

 この「九条せんべい」は、左のような箱に入って売られ、中には、憲法第九条の文面を、仙台銘菓の瓦せんべい5枚に分けて焼印で押したものと、おなじく英文憲法の第九条が焼印で押されたもの(5枚で一組)の二つの袋、計10枚が入って500円で売られています(送料別)。

 製造元は 仙台市青葉区宮町3−8−10 小萩堂(電話:TEL:022−222−3569)ですが、押されている焼印の発案・製造は瀬川さんです。

 瀬川さんは、この「九条せんべい」をつくることにした思いを、次のような文にまとめて、せんべいの箱に入れています。その全文をご紹介します。この文章は、『市民の意見30の会・東京ニュース』No.99(2006年12月1日号)に掲載されたものです。瀬川さんは、現在すすめらている第6期市民意見広告運動(今年の5月3日に反改憲の意見広告を全国紙に出そうという運動)の賛同人にもな っています。

孫たちへ 私の小さな世界遺産" ――「英文・日本国憲法九条(焼印セット)

瀬 川 満 夫


 ベトナム戦争の頃と思うが、二人だけの仕事場(焼印作り)でラジオからの国会中継に耳をかたむけていたら、若い革新系の議員の質問かと思うが、それに保守系の大臣だったか次官だったかが「憲法九条九条とそんな青臭い書生のような理想論で、国が守れるか、めしが食えるか」との主旨の声高な答弁が耳に残った。
 論理的には、九条が防衛(軍事)費を抑制してきたので、生活のための経済が成長し、めしが豊かにたべられるようになったので、感情的にはこの答弁は分からぬわけではないが政治家の発言としては全くのあやまりで、公務員失格である。
 私はこの答弁から一つのアイデアがひらめいた。それは昔、父が瓦せんべい用の芭蕉の句を焼印にし、少年の私がそれをリュックに背負い東日本一円の和菓子屋を一軒一軒訪ね売り歩いたことから、「そうだ、今、九条の条文の焼印を作り、それを手焼きせんべい屋に持ち込み焼き上げてもらい、『九条(せんべい)』はたべられます、これをたべられず命を失っているアフリカの児たちへ届けたい、これが九条での国際貢献!」と。
 小泉前首相が憲法前文の前文から「国際社会で名誉ある地位を占めたい」との一行だけつまみ出し、ブッシュ政権からの自衛隊イラク派兵依頼に応えていることが国際貢献だと、憲法の心を全く逆用している発言に怒りを覚えた。
 そして日米軍事同盟によって「集団的自衛権」の名で「ブッシュの戦争」に協力の“日本軍”の海外参戦への途に通じる「九条改訂」への準備としての「国民投票法案」が国会多数で可決されたら……との思いにかられ、国民一人一人がその一票をお茶の間から「九条改訂ノー」へ投じていただくには、これまで選挙に行かず政治に無関心な層に、先ず九条の条文を読んでもらい、またその「成立史」が、お茶の間で話題になるよう「九条せんべい」を供することが出来ればとの思いに駆られています。
 今年始め、このせんべいのことを知った地元テレビ局から「だれに一番たべて欲しいですか」との質問に「ブッシュ大統領と小泉首相です。どんな味がしたか聞きたいですね、両者にもインタビューして」と答えた。
 私の行為に共鳴してくださる私立中学の教師が「九条を守るから九条を世界へ報せよう!」との提案で、来仙する海外のアーティスト(イムチジ合奏団等)たちへ「仙台市民から“日本から平和メッセージの贈り物です”と「九条せんべい」を手渡し、また、この春、福島市を訪れた「もったいないの日本のコトバを世界のコトバへ」と提唱するノーベル平和賞のケニヤのワンガ・マータイさんに「もったいない九条せんべい」を作りアフリカの子に贈りたいことを話し合った。
 そして、この秋、友人の中学教師が属する私立女子で創立百二十周年記念事業としてニューヨークから招いた、二十二歳の時占領軍の民生局員として男女同権の憲法二十四条を作成したベアテ・シロタさんに九条せんべいと「二十四条せんべい」を手渡し、二十四条も九条も当時世界の叡智を集め作成したものでだれが作ろうが、いいものはいいので、それを六十年守り続けたのは日本の文化だ。九条改訂に反対し、二十四条、九条を世界へ拡げ伝えて行こうと語り合った。
 私は今、十三歳でB29の焼夷弾の雨の下から六十年を生きのび、三人の孫たちがその年齢に近づく姿を見ていて、日本国憲法の前文、最高法規、国民の権利等の各条を、英文、中国語、ハングル語での焼印を、余生の仕事として作り続け、遺したいと念ずるようになった。そして私の死後、いつかこの「憲法焼印」を使用し、世界の子ども、女性へ、だれかが大きく広めて行くことを願い、また、「昔、日本に戦争と武力放棄の憲法があったのだ」と、戦乱の中で思い出すような世界にならないことを願う。
                    (せがわ・みつお 元仙台べ平連、七十四歳)

『市民の意見30の会・東京ニュース』No.99(2006年12月1日号)より

 

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