41. 98年秋の「忍野パーティ」、ベトナム訪問報告などをめぐり懇談 (98/09/20)
恒例の「忍野パーティ」の98年秋の集まりは、9月19日(土)の夕刻から、いつものように山梨県忍野村の吉田和加子さん宅で開かれた。この日は東京、京都、埼玉などから26名が参加、温かい晴天に恵まれ、深夜3時頃まで、庭の焚き火を囲んで近況報告や討論が弾んだ。吉岡忍さんの司会で、まず、京都から参加した関谷滋さんから5月に出版された『となりに脱走兵のいた時代』の反響が報告され、この出版を契機にさらにいろいろな人から脱走兵援助活動についての情報が寄せられており、その中には、これまで知られていかった貴重なものもあり、いずれ、何とか続編としてまとめることを計画したいという希望が述べられた。それと関連して、吉川勇一さんからは、 田代廣孝監督の映画『Mr.P’s Dancing Sushi Bar』(本ニュース欄の別項記事参照)の紹介と、近く脱走兵援助活動や旧べ平連関係者を集めてその試写会を東京と京都で開くことが予定されているという報告があり、また、NHKも、『となりに脱走兵のいた時代』を素材に、4夜連続のドラマの制作を同じ田代監督の手で来年中に製作することを予定しているとの報告もあった。
つぎに、吉岡忍さんが、旧福岡べ平連のメンバーだった黒田光太郎さん(欠席)から寄せられた福岡で開催されたシンポジウム「ファントム墜落から30年」の報告を紹介した。(これについては、本ニュース欄に記事を掲載)
そのあと、オーストラリア原野でのオートバイ一周旅行から帰ったばかりの戸井十月さんから、主として同国内のアボリジニーの生活状況についてのリアルな報告がされ、その悲惨な状況からの出口が簡単に見つからない様子の報告に参加者は衝撃を受けた。質問も活発に出された。
最後に8月末、旧「大泉市民の集い」のメンバーら7人で、ベトナムのハノイ、ユエ、ホーチミン市および、米軍のけさん基地跡を訪問、各地の革命博物館の責任者らとも会ってきた佐伯昌平さん(旧大泉メンバー)と東一邦さん(旧埼玉べ平連)らから、その報告がされた。一行は、かつて日本に留学し、旧南ベトナム政府から弾圧を受けていたグエン・アン・チュンさん(旧「ベトナムに平和と統一を求める留学生の会」(べ平統)の代表者、現在ホー・チ・ミン市で会社を経営)ら、旧留学生の人たち(いずれも、大学の学長など、ベトナム社会で活躍中)とも親しく交流してきた。その報告から、現在のベトナムに明るさと希望を見るか、山積する問題の困難さを見るか、などの議論が弾み、また、分割されていた国の統一をめぐって朝鮮半島の将来についての意見交換にまで話はひろがった。そして、ちょうど日本の写真家の石川文洋さんが寄贈した写真を展示する展示館の建設が完了したばかりのところだったが、ベトナム側では、ベトナム戦争当時の各国の反戦運動の資料や写真などを切望しているが、それは現在では、非常に乏しく、日本の運動の資料も複写された数葉の写真がある程度で、べ平連の資料など、ぜひ送るべきだとの提案が強く出された。また、かつてベトナム反戦運動に参加した人たちは、ぜひ、ベトナムを訪問してもらいたいとの要望ものべられた。
そのあと、二つ、三つのグループに分かれて雑談となったが、ケサン基地跡付近の農村でのコーヒー畑の話から、ベトナムのコーヒーの味の話に移り、それはうまいか、まずいか、はては、コーヒー文化と紅茶文化、緑茶文化の比較など、深夜まで、話題は尽きなかった。(ちなみに、今度のベトナム訪問グループの費用は七日間で約20万円とのこと。)