412 訃報、加藤芳郎さんと都留重人さん(06/02/13掲載)
掲載が遅くなりましたが、訃報です。
お一人は漫画家の加藤芳郎さん。1月6日に呼吸不全で死去されました。80歳。
加藤芳郎さんは、ベ平連の最初のデモの呼びかけ人の一人でした。河出書房新社から発行された「資料・「ベ平連」運動』全3巻の上巻3ページに、1965年4月15日づけの「呼びかけ」が掲載されていますが、このアピールの署名人のなかには、加藤さんの名前は入っていません。しかし、『声なき声のたより』34号(65年6月)に掲載されているデモの呼びかけ人は、またそれとは違ったメンバーが並んでいます。追加の人びとを加えて2度目のアピールが出されたのでした。それには、最初のアピールにはなかった加藤さんやサトウ・サンペイ、富永一朗さんら漫画家が、粟津潔、飯沼二郎、上山春平、山田慶児さんらとともに加わっています。
また、ベ平連は、1967年4月3日、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』にベトナム反戦の全頁意見広告を掲載しました(右の図をクリックすると大きく見えます)が、この運動を呼びかけたのは、加藤芳郎さんを含む次の13人の方々でした。淡谷のり子、いずみたく、永六輔、岡本太郎、小田実、開高健、加藤芳郎、久野収、桑原武夫、小松左京、城山三郎、鶴見俊輔、松本清張。(敬称略) この広告の文字を書かれたのは岡本太郎さんで、それはその後、現在に至るまで、反戦のシンボルとして使われています。(バッジやシール
も作られています。)
もうお一人は都留重人さんです。経済学者で元一橋大学学長だった都留さんは、2月5日、呼吸不全のために死去されました。93歳でした。都留さんは、ベ平連運動には直接の関わりをもちませんでしたが、さまざまな面で、陰から運動を支持してくださいました。「しのぶ会」が3月6日正午から、東京都千代田区一ツ橋2の1の1、如水会館で行なわれます。
お二人のご冥福をお祈りいたします。