389 4/30の芦屋集会の模様。(サイゴン解放、ベトナム戦争終結30年のさまざまな行事――その4)(05/05/26掲載)
本欄 No.383 でお知らせした4月30日の芦屋での集会は、約100人が参加して活発な意見交換が行なわれたとのことです。その模様を、『福井新聞』5月19日号が以下のように報じています。(それにしても、4月30日に行なわれたこういう催しについての報道が、東京でも、大阪でも、神戸でもなく、5月19日になって福井で出るとは、この国のマスコミはどうなっているんでしょうね?)
ベ平連は何を伝えたか
戦争を理解し決して許すな 小田氏ら訴え
今年はベトナム戦争が終結して三十年。当時、ベトナム戦争に反対する市民運動を繰り広げた「ベ平連」から、一体何を学ぶことができるのか。中心メンバーだった作家小田実氏、哲学者鶴見俊輔氏をはじめ、市民約百人が兵庫県芦屋市で集会を開き、語り合った。
ベ平連とは一九六五年、小田、鶴見両氏らの呼び掛けで結成された「ぺトナムに平和を!市民文化団体連合」の略称。ニューヨーク・タイムズ紙への反戦を求める全面広告や日本での脱走米兵の援助活動などユニークな運動を展開した。
小田氏は「鶴見さんが私に突然電話をしてきて始まった。すべての行動を『言い出しっぺがやれ』が原則で、インチキな『思想』とは一切関係なく、私のような運動の素人が市民として考え、行動した」と振り返った。
鶴見氏は「小田実は実は、面識がなかった。誘ったら大当たりで、あとはすべてがマグレの連鎖のように運動が展開していった」と語った。
ペ平連に参加したフランス文学者の海老坂武氏は「運動にかかわる喜びと、相互の人間的な信頼感があった。私自身は米兵がなぜ脱走するかと考えた。軍の中にいて『殺せ、殺せ』という言葉が頭に鳴り響くようになることに、耐えられなかったのだろうと実感した」と述懐Lた。
会場からは、今の若い世代がベ平連のような過去の市民運動を「反対だけの無力な抗議行動」と思いがちだという認識も出された。
これに対し鶴見氏は「優等生が(西洋近代という)教師の言葉を丸のみにするのが日本の近代だったが、ぺ平連は別の道を示した。状況に対し自ら答えを生み出していく有り方。小田も、大阪大空襲に遭遇した体験から出発し、自らの井戸から水を汲み続けている。高い次元とされる物の見方を疑う視点が、ベ平連にはあった」と総括した。
小田氏も「空襲で殺されていった市民を『無意味な死』と書いたことがある。戦争の償いの証しが平和憲法だ。戦争を理解し、しかし決して許すな、とオレは思う。そうしないとわれわれの証しは、インチキになる」と、今に続くベ平連の意味について語った。