366 「日越市民交流」のベトナム訪日団、東京、相模原訪問、24日に帰国(04/11/28掲載)
No.358
でお知らせした「日越市民交流」で来日したベトナムからの訪日団の、いずれ正式な報告は、「日越市民交流」のほうからなされると思いますが、とりあえず、その後のごく簡単なご報告だけをしておきます。
訪日団の一行17名は、関西、広島での日程を終えて、23日に東京に到着しました。分散して都内の見学などのあと、夜、赤坂の「ばりばり」での歓迎パーティに出席、その夜は、日本の市民の有志の家に別れて民宿しました。
翌24日は、国会を訪問、各党の代表と懇談の後、相模原に向かいました。相模原では、1972年の米軍相模原補給廠からの戦車搬出阻止闘争のあとなどを見学した後、相模原での交流集会、歓迎パーティに参加、翌25日に帰国しました。
以下に、23日のパーティでの歓迎の挨拶を再録します。
日越市民交流訪日団歓迎パーティ(東京・赤坂)での歓迎挨拶 吉 川 勇 一 ベトナムの友人の皆さん、ようこそ。こころから歓迎いたします。 私もそうですが、ここに今晩参加している日本側の出席者は、今から30〜40年ほど前のベトナム反戦運動に参加していた人たちが大部分です。今、皆さんがここへ来られるときに通ったこの1本先の大通りを、私たちはアメリカの侵略に抗議するデモで、何度歩いたかわかりません。数十回、いや数百回になるでしょう。それは、このすぐ先にアメリカ大使館があるためです。 私たちは、ベトナム人民の闘争から、どれほど多くのことを学んだかわかりません。しかし、アメリカは、あれほどの経験をしながら、それから何も学ばなかったということが、今のイラクへの攻撃からも明瞭です。アブグレイブ刑務所での拷問やファルージャへの攻撃は、私には、1968年3月のソンミでの大虐殺を思い起こさせます。 2年前、私たちはソンミ――ミライ村を訪問しました。その時いただいたこのパンフレット『A LOOK BACK UPON SON MY』は衝撃的なものでした。私はそれを日本語に訳しました。これがそれです。出来れば、日本でなんとか出版したいと望んでおりますが、とりあえず、その日本語訳のプリントを団長さんにお贈りします。 平和な世界を築くため、今後も力をあわせましょう。どうもありがとうございました。 |
なお、『東京新聞』は、11月26日の「こちら特報部」欄で、見開き2ページの記事を載せ、訪日団の一員、ホーチミン市越日友好協会事務局長グエン・コン・タンさん(71歳)に焦点を当てた報道を大きく掲載しまし た。下の右の写真の左がタンさん、中央は、団長のホーチミン市平和委員会会長のボ・アン・ツアンさん、右は小田実さん。