日越市民交流について協力のお願い
友人の皆様
1960年代後半に始まったベトナム反戦市民運動は、かかわり方は異なっても、今日につづく皆様そして私たちの生き方の原点になっていることは多言を要しません。21世紀に入り、新たな形での戦争・殺戮の拡大を前にしたとき、私たちは改めてこのことを思い出し、小史をまとめた
DVD「日本市民はベトナムにたいするアメリカの侵略とどう闘ったか」をはじめ、収集精選した当時の運動資料を持参して、市民30名が2001年春にホーチミン市の戦争証跡博物館を訪問、贈呈いたしました。準備の折りには皆様から多大なご協力をたまわり、ありがとうございました。
この訪問をきっかけにベトナムの友人との友好関係が初めて運動レベルで、しかも顔をつきあわせる形で結ばれるようになり、以後次のように交流を重ねるごとにそのきずなは深くなりました。
・同年4月〜5月:第二回訪越団(18名)。
・2002年2月:相模原の元「ただの市民が戦車を止める会」グループ( 名)のベトナム訪問。
・2002年8月:グェン・クォク・フン博物館館長ほか2氏の相模原・東京訪問。
・2003年7月〜8月:第三回訪越団(22名)。
その直接の成果として、9月21日から11月28日までピース大阪で「ベトナムの子どもたちの平和の絵原画展」が開かれることになりました。また、この機会に、かつてパリ平和会談で南ベトナム臨時革命政府代表をつとめ、2002年までベトナム民主共和国の副大統領として私たちの訪越を歓迎してくださったグェン・ティ・ビン女史や証跡博物館の現館長グェン・カー・ラン氏らを招いて、国際シンポジウム「ベトナムと日本――アジア・世界の平和構築のため私たちにできること」が9月25日に同会場で催されました。
三回目の訪問の際、受け入れ側の対外友好協会連合会代表のヴー・スアン・ホンさんに小田実さんがおこなった提案が実って、この秋から「日越市民交流」が始められることになりました。
これは相手国までの旅費は自弁だが、滞在はホームステイとし、その他の諸費用も相手国側が負担するという原則に基づく交流です。顔の見える関係から生活をともにする関係にできるだけ近づこうとするもので、戦争体験(日本では反戦運動体験)をもつ者が少なくなりつつある現在、無体験の人々を含めたこうしたタイプの交流の意義はいくら強調してもしすぎることはないでしょう。
日本からは10月7日に出発して、16日に帰国します。
ベトナムからの訪問団はハノイとホーチミン、二つの出発組に分かれますがあわせて16名、いずれも11月19日早朝に関西空港到着。21日夜まで関西に滞在、22日に広島を訪問して一泊、23日の午後から25日早朝に成田を発つまで首都圏グループでお世話することになります。
先日私たちベトナムを訪れた者の有志が集まって、相談をいたしました。
11月23日の午後はいくつかのコースに分かれて東京見物とショッピング、そのあと夕食会。24日は国会訪問ののち、相模原で戦車阻止の闘いの跡を見てもらい、その夜は交流会のあと、同地で全員の集団泊と大まかな予定を立てました。
まだ細かい予算作成までは行っていませんが、最終夜の宿泊費・外食費・移動交通費・お土産代・相模原での交流会会場費・通信費などの費目があり、最低でも50万円ほどを見込まねばならないと概算しております。
つきましては、首都圏での日越市民交流について、右の趣旨をご理解のうえ応分の資金カンパをお願いいたしたく、一口5千円(何口でも可)として、同封の振込用紙でご送金いただけないでしょうか(振込先は、郵便振替の口座番号:00120-7-83204 口座名:旧ベ平連運動基金 です)。この段なにとぞよろしくお願い申しあげます。
また、23日夜の首都圏での滞在(できれば2名一組)、その他案内役などを引き受けていただける方がありましたら、下記の連絡先 までご連絡ください。
ベトナム側には、参加者のなかに体験者を入れてほしいこと、また国会での話題の中心になると思われる枯葉剤後遺症の子どもたちについてアピールできる方も入れてほしいことを申し入れるつもりでおります。
以上、簡単ながら経過報告とお願いまで
2004年9月27日 日越市民交流・首都圏グループ有志
(今村直、北井優、齋藤まや、坂元良江、首藤三男、山口幸夫、吉川勇一)
連絡先:高橋武智(電話:045-903-0663)、本野義雄(電話:044-854-6227) |