関谷滋・坂元良江編『となりに脱走兵がいた時代』の出版を記念して、東京と京都でそれぞれ、出版記念の催しが開催された。
東京では、7月5日(日)午後1時から、麻布の国際文化会館の講堂でシンポジウム「脱走兵援助運動とは何だったのか?」が、司会=和泉二郎さん、パネリストに 遠藤洋一、坂元良江、関谷滋、高橋優子、本野義雄、山口文憲の各氏を迎え、約130名ほどの参加者を得て開かれた。中には、はるばる熊本、福岡(伊津信之介さん)などから駆けつけた参加者もあり、京都からは編者の関谷滋さんのほか、鶴見俊輔、北沢恒彦さんも参加された。
多岐にわたる発言の内容をここではほとんど紹介できないが、当時生まれたばかりで、脱走兵援助にはまったくかかわっていなかった若い世代の高橋優子氏の発言が注目を浴びた。坂元良江、遠藤洋一さんは、現在の新ガイドラインの問題にも触れ、それへの反対の意見を表明した。
また参加者からもいろいろな意見や感想が出され、一部は討論にもなった。たとえば、和田春樹さんからの意見(要旨は、「当時やった米軍解体、自衛隊解体などの要求も含む自分たちの反戦運動は誤っていたとは思わないが、しかし、それはベトナム戦争というきわめて犯罪的な戦争に反対するという特殊な状況下にあって、市民もきわめて特殊な行動に立ったのであり、必ずしもいつでもそういう活動が普遍的に正しいというわけではいと思っている」)に、石田雄さんが反論するなど。また、北朝鮮に渡ったまま、消息がまったく不明になっている金東希氏の問題も、未解決の課題として指摘された。
シンポジウムの後、会場を別のホールに移して記念パーティとなり、そこでは、約50名の参加者の全員が発言した。中には、旧ジャテックとしてはじめて名乗る人びとも多く、神谷康子・冬生さん母子、山田健司さん、山本コータローさん、加納和子さん(元「いなか町べ平連」)ら、約30年ぶりに、あるいは初めて顔を合わせるといった場面も数多く見られた。神谷さんは、「この運動は過ぎ去った過去のものとはまったく思わない。海外へ派遣される自衛隊からの脱走兵が出て、匿わねばならぬとしたら、自分はいつでも歓迎するつもりだ」とのべ、大きな拍手を浴びた。
京都では、7月11日(土)午後6時から左京区の京大会館で出版記念の催しが開かれたが、詳細はまだ不明。連絡は 鈴木マサホ事務所 〒606-8225 京都市左京区田中門前町90 tel: 075-722-9989 fax: 075-722-8408 まで。