338. 訃報・横山好夫さん(元全石油ゼネラル石油労組事務局長 、元『労働情報』編集長)急逝 (04/04/28掲載)

 元ゼネラル石油労組事務局長、元『労働情報』編集長で、精力的な労働運動の活動家だった横山好夫さんが、4月27日午後8時、心筋梗塞で急逝されました。64歳でした。ベトナム反戦運動や三里塚闘争、反安保闘争などで、私たち市民グループとも一緒に活動することが多く、突然の夭折の報に驚いています。ご冥福をお祈りします。
 お通夜、葬儀などは近親者だけですませ、5月半ばに「お別れ会」を開催する相談が進んでいますが、詳しいことは明日以降でないと決まりません。とりあえずお知らせし、以後、詳細が分かり次第、またこの欄でお知らせいたします。
 横山さんのご自宅は、277-0884 柏市みどり台3-15-10 です。
 以下に、1997年、朝日新聞社刊『現代人物事典』に鎌田慧さんが執筆された横山さんの紹介を転載します。

横山好夫 よこやま・よしお
 全国石油産業労働組合協議会(仝石油)ゼネラル石油精製労働組合本部事務局長。1940(昭和15)年3月24日東京生まれ。58年東工大付属工業高校卒業後ゼネラル物産入社,のち石油精製部門の別会社ゼネラル石油精製に移る。70年7月,ゼネラル石油精製川崎・堺製油所とともに突入した全面ストライキは,当時新聞では「反公害スト」として報道されたものだが、そのもつ意味はそれだけにとどまらない。60年、65年にそれぞれ操業を開始した近代的合理化工場に働く若い労働者を中心に65年結成された同労組は、成直後から要員闘争と職場の安全闘争をからませながら展開してきた。70年2月の四エチル鉛混入現場の火災事故を契機に職場と工場外との安全性をめぐる問題を提起し、「 公害追放」「加鉛ガソリン追放」のスローガンをかかげ横山を含む5人の解雇にもめげず企業の経営方針そのものと対決したことにも大きな意味があった。この長期ストそのものは「完敗」し,職場の多数は第二組合に移ったが,横山らはその後も百花繚乱的に新聞を発行,地域住民の要求も入れて闘っている。同じく解雇された小野木祥之との共著『公害発生源労働者の告発』(71年)がある。       (鎌田慧)

 ニュース欄先頭へ   ホームページ先頭へ