331. 大阪で、鶴見俊輔さんと小田実さんの対話 集会。(04/03/01掲載)

 少し前のニュースですが、今年1月24日に、大阪で鶴見俊輔さんと小田実さんの対話集会が開かれました。その模様を伝える『朝日新聞』関西版の記事が小田さんから送られてきましたので、その一部をご紹介します。

暮らしの中の指標を大事に
 作家小田実さんと哲学者鶴見俊輔さんの新春対談が24日、太阪市内であった。自衛隊のイラク派遣を受けて、二人が自らの「戦争」体験を語って議論が白熱した。小田さんが代表を務める市民による政策提言グループ「市民の意見30・関西」が主催した。会場は約160人の聴講者でいっぱいになった。
 小田さんは「時代に流されない新しい市民の意見を持とう。今年いっぱいに、市民の側の政策を作りたい」と切り出した。
 鶴見さんは「小田実さんの立場と私の立場は違う。しかし、ベトナム反戦運動をいっしょにやった仲。小田さんは、しゃべることから始める人だ。聴衆が、2倍、3倍、10倍になっても臆せず同じ調子でしゃべったので驚いた。私は自分ひとりで考える」と語り始め、「戦争の思想化」について触れた。
 鶴見さんはアメリカ留学中に太平洋戦争を迎えて交換船で日本に送還された。徴用でインドネシアに送り込まれて外国電波の傍受翻訳の任務に就いた。その体験を語った。「(アメリカ体験から)日本は必ず負けると思っていた。殺されることは覚悟していたが、人を殺したくなかった。私の内部は英語が入っており、皮膚1枚の外はみんな敵だった。あの長い戦争をひとりで歩いてきた。とぼとぼと歩く自分が、今も自分の中にいる。結局、それが杖になっている」と言った。
 これに対し、小田さんは「敗戦の前日の8月14日、爆弾を落とされる側にいた。大阪空襲が私の思想の原点だ。国家が勝手に戦争を始め、勝手に降伏した。敗戦後、日本政府は何もしてくれず、私はやむを得ず、人間として自由に生きた。やられる側にたって考えるようになった」と語った。
 鶴見さんは「日本は国家が知識人を作ってきた。だが一人一人は暮らしの中に指標を持っている。全く個人的な力学があるから生きられる。人間、誰でも哲学を持っているのです。このもう一つの知性が大事です」と強調した。
 この後、良心的軍事拒否国家日本実現の会(代表、小田さん)による「兵を引け」の声明と同事務局長が読み上げた。 「イラクにはまず平和づくりの協力に徹し、民間支援をできる環境をつくる。その上で民間支援を大々的に行え」という声明だった。会場の拍手で採択された。
 小さな集まりだった。だが、ささやかなこの動きが寒風をどこまで突き動かすか。
 同事務局は、FAX0797・38・5252。 (音谷健郎)【朝日新聞 04年1月31日号 「単眼複眼」欄】

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